そりゃ誰だって選ぶ側になりたい。

社会人になったら、働きマンの松方弘子みたいになると思ってたけど、全然ダメだった。プライベートが仕事へのやる気を持っていっちゃう。

今の私は絶賛ヤダヤダ期の赤子と化していて、昨日の夜は泣きながら最愛の元彼に出張についてきて欲しいと泣きついていた。はっきりいって終わっている。
困った声で、頑張ってねと言われてまた泣いた。いや、頑張るためにはお前が必要なんだっつーの。私ゃ応援だけで気合いみなぎるような慎ましやかな人間じゃねーんだよ!と1人で駄々をこね。最終的には奥歯の歯肉が腫れ始めて顎をあけるのも痛い…消えてしまいたい…といった状況である。

元彼のTwitterの裏垢にて浮気報告を発見して別れて1年以上が経つ。それでも好きだ、なんなら今の方が好きだ。別れてからの方が元彼は優しい。

一般的に男の人の方が振られることに弱い気がする。振られてからの方が優しくなる人の方が多い。
女性と比べて、男性の方が振られることに慣れてないからなのでは、と思う。

今日は割と男女平等だとか、恋愛の自由が当たり前みたいな世の中で、逆プロポーズなんて普通で。婚活やらなんやらで、男女ともに選び選ばれるの時代になった。
だがしかし、自分の母の時代(母58歳)は、圧倒的に結婚しようか、と提案するのは男の人が多かったと思う。そもそも自由恋愛が広まったのは明治時代以降だし。女性の選択、なんて別に誰も意識してなかった、
女の人は選ばれる立場、でいることが長かった。だからもちろん選ばれないということにも慣れている。選ばれなくても、自分に折り合いをつけて生活してきた人の方が多いと思う。
自由恋愛が始まってから、恋愛は戦いになって、男も女もLGBTもみんな、選ぶ立場に立てるようになった。男の人は選ばれる立場になることにまだ順応していないように思う。

秋葉原通り魔事件の加藤智大の事件前の書き込みにそれを強く感じた

「みんな彼氏がいるから、彼女ができない」

「仮に誰か振られると、100人以上の男性が殺到して、女性はそのなかから選べばいいわけだ」

「彼女がいない
それが全ての元凶」

「彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった
希望がある奴にはわかるまい」

本人曰く、このような事が事件の要因ではない。でも一瞬でも考えたことがあるから、彼からこの言葉は生まれた。

彼女がいたら、モテたら人のことを殺さなかったのだろうか。

立場は全く違えど、男という存在の欠落に苛まれた東電OL事件の被害者女性は、渋谷の街でたった1人で客を捕まえて自分にとって男という存在が足りないことを補った。彼女は殺されたけど、人のことを殺さなかった。

女の人は、選ばれないことにとっくの昔から順応していた。良いにしろ悪いにしろ、慣れている。

男の人は、昔の習慣や価値観がしがらみとなっている。未だに、選ばれないこととか振られたこと自体がすさまじい欠陥だと思いがちなのだ。そして、それを補う方法を知らない。

だから、振られた男は元彼女に優しくする。
自分が振られたという事実の否定、優しくすることでまた自分を好きになるのではと思っている。それで振られたという事実がなくなるのを願っているのではないか。

なんてことを日曜の昼に考えている。
でも優しくしてくれるままなら一生付き合わなくていいな、なんて考えたりもする。

#エッセイ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?