これからの大学生活
学生生活も、もう一年もない。気づけば2023年も6月を迎えそうで、あれもう半分終わっちゃいそうな感じ⁉のペースが年々早まっていることに危機感を覚える。毎日それなりに新しいことを学んでいるはずなのに、一日が滔々とすぎていく。あと一年ないくらい、学生としてどう過ごそうか…
社会人になってしまえば、淡々と市場のために「商品」を作る事に少なからぬ時間を費やす労働の日々である。確かに、その生活は「資本主義」というシステムに組み込まれている。大学生になって嫌というほど、この地球という仮住まいを支配しているシステムについて勉強してきたことを、きっと一生忘れることはないのだろう、か。
どうせ社会人(特に資本主義に依存するこの現代社会における)とは、利益を追求する生き物なのだ。私も例外なくその一人になる。自給自足が出来ない(と思って)るから、市場という仮想の空間を対象に作られる、とても大量にある魅力的な商品を手に入れる方が楽だと思っている。そういう思考に飼いならされているんだろうかなぁ。消費者というマインドにすっかり染まるのに、20年は十分すぎる。
最近考えていることは、この資本主義的なシステムから逸脱したところで私は生きていけるのかという問いだ。つまり、産業革命が起こる前のコモン(共有地)で自給自足を行っていたような暮らしだ。でも、よくわからない。お金という万能(に思える)な道具は、おおよそ何とでも交換できる。便利すぎる。でも、大変なこともある。
だからせめて学生の間くらいは、お金のこととか、社会人になってから役に立つこととか、利益追求に資するだけのスキルよりかは、なんだかのんびり勉強したいなぁと思っている。社会人になってからは、いくらでも働くのである。スキルなど、そこからでもいくらでも身に就く(と思っている)。なら、いっっつぱい本を読むとか、時間が無いと議論が出来ないこととか、色んな人と色んな事柄について意見交換をするみたいなことがいいのかもしれない。
もし、大学生のうちにしか出来ない事があるとしたら、思う存分好きなことを学ぶことだろう。明確に何かに役立つとか、換金できることの方がいいとかではなく、あるがまま思うがままにしたいことをすることが、きっと今
すべきことだろう。
無駄だ、という人はそう言わせておけばいい。そういって勝手に気持ちよくなっていればいい。
私は、そういうことに自分の熱を向けられたという事実が、これからの人生で生きることを願おう。学ぶ内容ではない、学んだという事実が私を形作ってくれることを信じて。