心の傷を癒すということ
先日、映画『心の傷を癒すということ』(2021)を見た。
能登半島地震の発生を受け、合同会社ミナトスタジオがチャリティ・オンライン配信を企画・開始したのを知ったことがきっかけ。(3/31まで無料配信)
2020年にNKHの土曜ドラマで4回にわたり放送されていた内容を、2時間に再編集した劇場版。
1995年に発生した阪神・淡路大震災の中、被災者の「心のケア」のパイオニアとして奮闘しつづけた、精神科医・安克昌氏の生涯をもとに、未曾有の災害下での心のケアの厳しさと、一市民として心のケアに関わるということの意味を描き出している。
いまよりもはるかに精神疾患や精神科に対する偏見が根強かった時代、自分自身の心の不調を訴えることも、突然の出来事を前に誰かがいつもとは違った行動をとることに対しての理解も、非常に厳しい状況にあったことがわかる。
今でこそ「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という言葉が浸透しつつあるが、当時の一般市民の間では、まだ認知すらされていなかった。
そんな中で、自らも被災者でありながら、全国から集まった精神科医のボランティアをコーディネートし、避難所でのカウンセリング・診療を地道に行なっていくことは、人々からの理解を得られるようになるまで、どれほど骨が折れることだっただろう。
安克昌氏は震災後も被災者の心のケアの問題と取り組みつづけ、PTSDに苦しむ被災者の状況、災害精神医学に関する報告書などをまとめたものとして、『心の傷を癒すということ』を上梓する。
大震災で、人の心はいかに傷ついているのか?
そして、復興によって癒すことはできるか?
大災害に襲われるとき、私たちは誰もが多かれ少なかれ「心の傷つき」を経験する。そのとき、心のケアは精神医療の専門家だけが扱うものではなくなる。
自分も心のケアを必要としているし、他の人たちも必要としている。
専門的な対応はできないとしても、この自覚があるかないかで、だいぶ変わってくるものがあるのではないだろうか。
たとえ直接の手助けができなくても、何かが起きていることに気づき、理解を示すこと。必要なときに、そばにいること。
個人だけの問題ではなく、同じ時間を生きる社会の、わたしたちの問題として自覚していくこと。
「心のケア」を考えるとき、それは決して被災した当事者だけのものでも、精神医療に携わる関係者のものだけでもなく、私たち全員に問われてる「社会のあり方」なのだということを、忘れないでいたい。
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