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ふらっと観に行った「The Matrix Resurrections」は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」だった

注意:これは恐らく映画「The Matrix」を観た事があり、多少なりと思い入れがある方向けの投稿かと思います。また多少ネタバレも含まれているので興味がある方は映画観賞後に読んで頂ければと思います。

昨日たまたま色んなタイミングが合ったので、映画館で見れたら見たいなと思っていたThe Matrix Resurrectionsを公開初日のレイトショーで見る事が出来た

結果としてめちゃくちゃ良かったんだけど、見終わった後にこれは映画なのか?となんだか色んな感情が浮かんできた

自分は何を見たのだろうか?と思い巡らして辿り着いた結果は、The Matrix RessurectionsはThe Matrixを生み出した監督達自らによる究極のファンムービーだったんじゃないかと思った

観賞前

実は良くも悪くも期待していなかったし、そもそも見に行く予定もなかった

最近は新生児が家にいる為、コロナを心配して映画館に行くこともめっきり減り、仕事だ勉強だと娯楽という娯楽からは遠ざかっていた

Matrixの続編が出ると聞いた時もおー!とは思ったが、映画館に見に行こうとも思わなかったし、ほとぼりが冷めた頃にNetflixで配信されて、時間が空いた時に見るかなーという程度だった

それがふらっと見てみたら、吐き出さずにはいられなくなる位、色んな感情が湧いたので今キーボードを叩いている

デジャヴ

とりあえず結論から言うとめちゃくちゃ良かった

ふんだんに散りばめられたセルフオマージュの数々。あの頃に見た映画の回想シーンでも見せられているかの様に、The Matrixのシーン、セリフ、なんだったら映像までふんだんに織り込まれている

覚えていたものから忘れていたものまで、まさに映画の中でも重要な「デジャヴ」を引き起こさせる

キャスト

主人公であるネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティ(キャリー・アン・モス)はそのままオリジナルのキャラクターを演じているが、その他の俳優陣は若い俳優達で固められている

正直ネオとトリニティはオリジナルキャストとして出ると聞いた時、嬉しさの反面、圧倒的な存在感を放っていたモーフィアスを演じたローレンス・フィッシュバーンやミスタースミスを演じたヒューゴ・ウィービングは出ないのかと少しガッカリした

そんな若手俳優陣に囲まれたネオとトリニティは圧倒的に歳を感じさせた

若手俳優陣と比較した時の顔の皺、落ち着いた眼差し、アクションのキレも。昔のようにはいかない。そりゃそうだ、The Matrixが公開されたのは1999年、もう20年も前の事だ

しかしその配役も主役の2人が年齢を重ねた事、そして世界が変わっているという事を観ている我々に印象づける為のものなのだと観終わって気が付いた

若い力が台頭し、世代交代が進んだ
それは映画の中でも、現実世界でも同じ事だ

現実と虚構の境界線

開始しばらく、現実世界の固有名詞が出てきたり、The Matrixが作品として出てきたりする

それが「あれ?今見てるのってフィクションだよね?現実世界をベースにした話に4作目にして切り替えてきた?」と見てるこちらを不安と共に迷わせてくる

その折り込み具合がThe Matrixという完全に虚構の世界を見ている我々の現実世界に絶妙にハミ出してくる

見てるこちらの現実と虚構の感覚を狂わせ、違う意味でマトリックスのテーマに引き込まれる

究極のファンムービー

めちゃくちゃ良かったと思ったと同時に正直、大丈夫か?とも思った

自分の様に思春期真っ只中にThe Matrixを見て、衝撃を受けたY世代の人にしか伝わらない映画なんじゃないか?

いや、むしろそもそもファンの事しか考えずに作った映画だったんだと思う

だからこそ自分のようにファンだった人間にめちゃくちゃ響くものがあった

昨年公開になった新エヴァンゲリオンがそうだった様に

新エヴァンゲリオンでもエヴァンゲリオンから10数年の時を経て、続編を待ち続けたファンに対する庵野監督のアンサーの様なものが込められていた様に感じた

そして同時にその過ぎた時間の中で変化した庵野監督自らが色濃く感じられる作品だった

もはや映画ではなく、特定の人に向けたプレゼントの様な作品という事で言えば、新エヴァンゲリオンと今回のThe Matrix Resurrectionsは非常に似た雰囲気を感じた

これはThe Matrixに衝撃を受け、熱狂した我々ファンに向けたウォシャウスキー監督達からのプレゼントだったんだろう

観賞後

帰宅後、速攻でThe MatrixをNetflixで観返した。すると20年前初めてMatrixを観た時の事が走馬灯の様に思い出された

22年前、思春期真っ只中の14歳、厨二病最高潮の自分。満員の映画館のほぼ最前列、見上げる様にして観たThe Matrix。映画館の最前列なんて首も痛くなるし、画角が広すぎて気持ち悪くなるので絶対に座りたくない席なのに、そんな事も忘れてしまうほどその世界に引き込まれた。真っ黒の画面にカタカタと落ちてくる緑のソースコード。観終わった後、この世界が本当はマトリックスなんじゃないかと現実と虚構の境目がしばらくフワフワしていたのは自分だけではないはずだ。

ダークで、スタイリッシュで、哲学的。「Free your mind」、「How do you define real?」、重低音の様に心に響く、現実と虚構の境界を問うモーフィアスの言葉。「ハッカー」という存在が最高に格好良く感じた。黒いロングコートと黒いサングラスを纏い、まるで自分もネオ達の様にこの社会(システム)に挑戦する反逆者になった様な気がした。サウンドトラックも購入して何度も聞き返した。Marilyn Manson, The Prodigy, Rob zombie、Rage against the Machine、そのほかにもダークで反逆的でスピーディーなサウンドが流行りのポップしか聞いた事のない脳内を支配した。

そんな記憶と感情がバーっと想起され、自分はこんなにもこの映画に影響されてたんだなと逆に気付かされた

あれから20年

そこから20年。時代は変わった。我々も歳を取り、AIはより身近なものとなり、コンピューターグラフィックスは現実と区別のつかないレベルに達している。監督していたウォシャウスキー「兄弟」が、2人とも性転換をしてウォシャウスキー「姉妹」になってるくらいだからそりゃ時代は変わるわ。(そういう意味で女性というのも1つ、本作の重要なキーポイントかもしれない)

世界はどんどんThe Matrixの世界に近づいている。それでもあなたはまだ「The One」であり、この社会(システム)を変える力を持っている。そしてこの社会(システム)は変わるべき余地があるし、変えていかなければならない。

じゃあ時代が変わり、年齢を重ねた私達はこの世界をこれからどう作り変えていこうか?

ラストのネオとトリニティのやり取りにそんな事を問われているような気がした

この作品は映画The MatrixのResurrectionでもあり、かつてその映画に熱狂した我々ファンのResurrectionでもある

それが単数形のResurrectionではなく、複数形のResurrection”s”だった理由なのかもしれない


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