生きる理由はありません
去年で成人したので、このタイミングで生きることについて考えてみようと思います。みなさんは、考えたことがありますでしょうか。
そもそも、生きる理由なんてあるのでしょうか?
多くの人がこれに答えを出せず、ときには生きるのをやめるという選択をしてしまう人もいます。
僕は、生きる理由なんてないと思います。
そもそも宇宙の誕生に理由があるとは思えず、
その延長線上の僕らの命にも大層な意味なんてないと思っています笑。
だから、自分に価値がなければ生きていても意味がない、とか難しく考える必要もないと思います。(メンタルの具合によって、自分に価値がないと落ち込むことはよくありますが、生理現象だとわりきっています・・・)
「生きることに理由が見いだせない悲しいやつの独り言か・・・」
だいぶひねくれた考え方なのでそう思われる方もいるかもしれないですね。ただ、生きることに理由がないとはいえ、僕が虚無な状態で人生を過ごしているわけではありません。
僕は、生きる理由を見つけようと悩むのではなく、
自分で生きる目的を設定してしまおうと考えます。
目的があれば、なんとなく生きていることに理由があるような気がしてうれしくなってきます。
人生において何を目的にするのか。
僕は、人生の目的を「充実した生活をおくること」に設定しました。
理由は、つまらないゲームよりも面白いゲームをやりたいのと一緒で、
人生というゲームを自分の手で面白くプログラムするためです。
では、人生を充実させるには何が必要となるでしょうか。
僕は、3つあると思います。
➀閾値の低い感性
閾値とは、ある反応を起こさせるための最小の刺激のことです。
めちゃくちゃ恵まれた環境に置かれているのに、虚無な人 VS
環境としては恵まれているとは言えないけど、
毎日いきいきと生活している人
どっちが人間として充実していると思いますか?
どれだけおいしいものがあっても、味覚がないと味わえないように、
どれだけ人生が刺激的であっても、それをうまく感じ取れないとあまり楽しくなさそうです。
まずは、自分の感度を高めて、幸せを実感すること、楽しいことを楽しいと思えるメンタルを作るのが最優先なのではないでしょうか。
僕は、食べ物をよく噛んでおいしさを味わうとか、自分の嬉しかったことを振り返るとか、ささいなことから始めています。
➁人のためになることをする
ヒトは集団で生活してきた生物なので、ほかの個体の役に立てることに喜びを感じます。
さらに、人間社会で人の役にたつと、お金をもらえることがあるので、生きる糧もゲットでき、一石二鳥です。
人のためになることをする人に対して「偽善だ」と批判を浴びせる人がいますが、それは見当違いで、僕は誰かのためになることをやっている人は自分が気持ちいいからやっているんだと思っています。
③自己分析
自分がどんな人間か知らないままなのは、コントローラーの使い方を教わらずにゲームを始めるのと一緒ではないでしょうか。
どこにどんなボタンがあるのか、押したらどうなるのかも分からないのにうまく進められるはずがありません。
どんなときに幸せを感じ、どんなことが得意で苦手なのか把握しておくと、生きやすくなると思います。
そのうえで、自分を磨いてレベルアップ&スキル振りを適切に行いたいです。
これらを踏まえ、
➀今を大切にするには
➁人のためになるには
③自分はどんな人間か
を考えました。
その結果、たどり着いたのが、「アウトプット」という作業。
アウトプットすることには、瞑想的な心地よさがあります。
そして、需要と供給がマッチすれば、人の役にたちます。
さらに、アウトプットによって自己分析に磨きがかかります。
これらのような理由から、何かを発信しようと決めて活動してきました。
自分は農学生であり、動物に関する学問を専攻していること
どうぶつと食べ物が好きであるということから
たべもの、そしてどうぶつに関する発信をしようと決めました。
そして、人の役に立つために自分ができることを深堀りして、
発信に際して大事にする2つの軸を決めました。
➀ワクワクさせる
→おいしそうな食べ物、かわいいどうぶつのイラストを発信する
➁広める
→動物の保全に関する活動や食べ物に関する情報をわかりやすく広める
この分野に関わる人々の想い、活動を拡声するメガホンとなる
この2つを主軸に、活動し、自分の人生を充実させていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
たべものをモチーフにしたどうぶつを発信する「たべもん。」というアカウントがInstagramにありますので、よろしければごらんください。
Twitterでも、「沼田」としてイラストを発信しております。最近はNFTで、何かできないかとワクワクしております。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?