負けに不思議の負けはなし

とあるゲーム中の一場面。

実戦中の思考

状況整理1
・リペア×2、救済×1が公開情報
・侵食の打点は3
状況整理2
・相手のリソースは見かけより少なく、鋼鉄と大地の神(以下”神”)が無ければ概ね勝ちであることから、神がある前提でゲームプランを組み立てる
・次ターン自分も神を投げるとし、このターンの焦点はPP加速をする(託宣プレイ)か否か
PP加速をするメリット
・神+ヴァイディの動きができる
・プテラorコアで10PP到達(プレシオ無料進化)
・マナ+ティラノによる面処理が可能(7PP時はコアが必要)
総じて、相手の神への対応力が上がるといえる
PP加速をする場合
①嵐鉄進化:融合素材の調達
②ヴァイディ進化:侵食の確保
PP加速をしない場合
③プレシオ進化:手札交換&有利トレードの行使

①~③の甲乙はかなりつけ難く、どれを選んでも一局といったところ。
☆若干判断材料に欠けるため、ここから相手視点での選択肢を加味し、前述した神前提のゲームプランを吟味する。

A.リモニウムを処理した場合(先攻6T)
a. 6PPで神を投げる
b. 5PPで神を投げる(機械鞭+リペアのビッグムーブを狙う選択)
c. 神を投げない(素材の調達≒弱い動き)
B.リモニウムを処理しなかった場合
d. 6PPで神を投げる
e. 神を投げない(素材の調達≒弱い動き)
f. 神を投げない(リモ放置を咎める全ツプラン)

前提より神を投げさせない方がゲームに勝ちやすいため、よりその方向に誘導しやすいBは検討価値がありそう。
またAの場合、a/bの選択肢を得た相手がより高いバリューを狙って神を投げてくることが予想でき、更にその後続までをも残り一つの進化権で対応するのは非常に分が悪いと判断。
このターン進化を切る行動自体に疑問が生じる。再度①~③の選択肢を検討。

①神を最大バリューでプレイでき悪くない
ヴァイディに関しては3枚目が引けない場合を懸念し1枚残すのも視野
②4PP消費して手札を増やさない行為はコスパが良くない
また侵食を抱え続ける展開は2枚目以降の神のバリューを下げることにもなる
③神のバリューを高めることができ、かつ3択の中で最もこのターンの盤面が強い
しかし、”盤面が強い”という状況が相手を追い詰めすぎることで何より神を誘発する材料となり、”相手が神からのドローで最大値を狙い、結果こちらが対応できなくなる”ような展開を齎す危険を孕んでいるのではないか?

以上から、このターンのプレイ指針として

・PP加速をする
・神のバリューを高める
・神を投げさせない方向に相手を誘導する

の3点を設定。
1、3点目から”③プレシオ進化”は最も悪そうだ。

一方で分岐Bは3点目だけでなく温存した進化権によって2点目も満たすことができ、後のゲームプランに幅が生まれ見た目以上に良さそうだ。

ここまでが1ターンの思考変遷。なお文章化に際して多少(多少)肉付けしており、実際のゲーム中は「強そう」「勝たなさそう」等といったアバウトなイメージを基に択決定まで至る。

時間の迫る中で託宣をプレイ。採るべき選択は①か②か…

実戦進行

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”④”託宣+嵐鉄&進化温存を選択
流石に軽率な感はあるが、神の投げ合いならば温存した進化権が光りそうだ

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このターンの神を回避
機械鞭がきたことから分岐fが予想され優勢を意識
神からの第2波も控えており油断はできないが…

画像3

!?

画像4

デカ過ぎんだろ・・・

画像5

~fin~

解答編

画像6

相手方の手札を確認。なんと神を持っておらず、相当厳しい台所事情であったようだ。にも関わらず対戦相手()はむざむざ唯一の負け筋(=リモ放置)を選んでしまったらしい。(最初に却下したプレシオ進化ですら勝てそうなんだが?)

終わりに

今回の経験から私が得た教訓は二つ。

・勝手読みは危険

”シャドバは複雑になり感覚のゲームになっていて、理論が通用しなくなってきている(実戦の90秒ではなおさら)
だから理論武装して狭い視野から結論出す人より、より幅広い視点で見れて分かんねーって言いながら感覚でプレイする人が強い”
(某プロ選手のtweetより)

昨今のシャドウバースは”感覚”による思考の簡略化が求められている。その”感覚”は実力(ここでは練度も含む)によって培われるものであるため、現時点における自身のソレに正当性があるかどうかは逐一(時には試合中ですら)疑わねばならない。
また対戦相手が自分より上手(ウワテ)であれば当然自身の選択を咎められることもあり、今回はその面からも勝手読みの危険性を再認識することができた。

・主観と客観の乖離

不完全情報ゲームの性として、自身の想定したゲーム(主観)と実戦(客観)との間に大きな乖離が生じてしまうということはままある。今回は幸運にも”神視点”が設けられていたことで、私はその乖離(≒自身の感覚の誤り)を自覚することができた。
今まで同じような負け方を無自覚のままどれだけ重ねてきたのだろうと考えると頭が痛くなるが、今後可能な限りその溝を埋められるよう、正しい感覚を身に付けられるよう練習を続けていきたい。

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