読書

読書の始め方

急に講義を最前列で聞いたり、一人で図書館に入り浸って知らないことを勉強したりし始めたので大学ではちょっと浮いた。

真面目にやってみて初めて気づいたのだが、我が母校の大学は完全に「勉強しない子」仕様に授業が構成されており、例えば第二外国語の授業で前期にA、B、C、とアルファベットの読み方から始めたとしても、みんな全然勉強せずにそれを覚えられないので、後期も結局またA、B、C、とアルファベットの読み方から始まったりするなんて事もざらだった。

ごく少数の、真面目に授業を聞いている学生にはちょっと理不尽なシステムが多かったのである。

当然、私はすごく焦り始めた。
…マジか、ここ、こんなやばい所だったのか、と気づいて日々悶々していた。
学費だって私立なので安くない。父は心配するなといって送り出してくれたが、私の学費のためにまた休日もなく働き続けている事を知っていた。

周囲はやっぱり良くも悪くものんびりしている子ばかりだったので、焦っている私を見ても「意識高い系だね」なんてからかってくるくらいだったのだが、私の気持ちはもう自分の大学からは離れ始めていて、だんだん外側に向かうようになった。

ネットを調べたり、外務省とかが主催してるような真面目そうなイベントに行ったりして学びの場所を色々探して、最終的にとあるインカレのサークルを見つけて、秋ぐらいからそこにお邪魔する事になった。

そこは残念な事に今はもうなくなってしまっているのだが、政治や経済、ビジネスや研究などの分野で将来、国際的に活躍したい学生が毎週一回集まって様々な事に関して熱く議論をする、偏差値でいうと東京の一番上から五番目くらいまでの受験エリート達が集結しているようななかなかにイカツイ場所で、正真正銘、集まってくる学生達の意識の高さも凄まじかった。

「僕は将来、発展途上国でBPOビジネスをやって、一日1ドル以下で生活している人にも十分行き届くようなサービスを作る」とか、「俺はどこどこの官僚になって日本の公共事業のフィードバックシステムを変えて税金の無駄を無くす」とか、そういう具体的な目標を早いうちから持って切磋琢磨している、意志が強くて聡明な人がうじゃうじゃいた。

勉強会などでは毎週担当が一人決まっているらしく、その人が自分の関心のあることをパワポを使って一時間から一時間半くらいでプレゼンし、その後でその事に関して質疑応答議論が始まる。

初めて勉強会に参加した時、発表者がプレゼンを終えた途端に、「それはミクロ経済学的にはこうだから間違いだ」、とか、「この統計の出所はどこどこだからこういう風にバイアスがかかっていてうんぬん」とか、「しかしこれは実は数式で表わすとインテグラルインテグラル、カッコの中の要素はアレとコレ(適当ですみません)、なので間違いないんだ」みたいな、あーでもない、こーでもない、と先輩方のハイレベルかつ高尚な話が始まったわけだが、当然、成田は最初から最後まで彼等が何を言っているのかさっぱり理解できない。

というか、フィリピン人達の方がまだ何を言っているのか理解できた。
そこにいる全員がまるで朝まで生テレビの時の田原総一郎みたいに見えてくる。

言っている事が全然分からないので、とりあえず、しばらくはスクリーンに映されているパワーポイントと手元のプリントアウトされた資料を交互に凝視する。
何もかもが意味がわからなさすぎて息が詰まり、だんだんそこにいていいのかどうかも分からなくなってくる。

成田が無言で資料をガン見している間にも、先輩達の白熱した議論は続き、発表者の人も質問に合わせて追加情報をプロジェクターでスクリーンに映してスライドしたりする。

パッパパッパと切り替わるパワポのスライドを見ていて、最終的に私は
「…あぁ。あれで紙芝居とかしたらおもしろそうだなぁ」と妄想の世界にトリップし始めていた。

そこから先は覚えていない。多分、完全に妄想の世界にトリップしてしまったのだと思う。

しかし、今考えても、あの頃の自分はちょっと偉かったな、と我ながら思うのは、それでも諦めずにそれからちょこちょこ通い続けた事である。
大学とアルバイト(マクドナルド)の往復生活に戻るのがよっぽど嫌だったんだと思う。

それで、この年に頻繁に通っていた一年生というのが私だけだったので、すぐに顔を覚えてもらえるようになり、まぁ、なんというか、数ヶ月と経たないうちにけっこう馴染んでいた。

そしてここで色んな意味での師匠というか、メンターというか、スターウォーズとかでいうところのオビワン・ケノービ的な人に出会った。(女性だけど)

彼女も当然、某最高学府の法学部卒の大学院生で、マルチリンガル、ピアノの英才教育を受けて絶対音感がありますみたいな、はっきりいってどれだけかんばっても私とは一生関わらないようなタイプの才女だったのだが、何故かいつも気にかけてとてもよく面倒を見てくれた。

彼女はいつも、私がその時その時思ったり考えたりする、半ば若さとパッションだけの何の脈絡もない話を聖徳太子みたいな感じで全部ふんふん頷きながら聞いてくれて、話しを色々広げてくれた上で、最後は図書館などに連れて行ってくれて一緒に本を選んでくれる。

そしてその人の勧めてくれる本は結構分厚くて難しそうな学術書みたいなものも結構あったのだが、そもそも自分の関心に根ざしたものなので興味を持続したまま読み終えることができた。

考えてみれば世の中の教育熱心な親御さん達は高額な費用を払ってでもこういう人を自分の子供の家庭教師にしたがるわけだから、私はかなり贅沢な経験をしていたのだと思う。

本なんて退屈で難しい。どうせ自分には読めない。そういう先入観みたいなものを、この時ようやく全部払拭してもらって、私はついに読書というものを覚えたのだった。


それから、一年後期の最後辺りに私は勉強会の枠を一つ貰って、プレゼンすることになった。師匠のサポートの元、題材を探して、パワポの使い方を覚えて、どうやって話を組み立てて話すのかを覚えて、当日ぎりぎりまで練習し、確か、インドのケラーラ州という場所の巻きタバコ産業で横行している児童労働問題についてプレゼンした。

当然、他の先輩達のようにスマートには事が運ばなかったが、やってみたらわりとみんな真剣に聞いてくれ、そして暖かかった。最後にみんながアドバイスなどをビッシリ紙に書いて渡してくれて、終わった後に何度も読み返した。

ちなみにその時の人たちは今でも一応ゆるく繋がっていて、BPOビジネスをやると言った方は現在アフリカで本当にBPOビジネスをやっているし、公共事業のフィードバックシステムを変えると言っていた方は、本当に官僚になって日本の中枢で色んな事と戦っていらっしゃる。

あの時、彼らと同じ場所にいたから私も彼らと一緒で何かしらの価値のある人間なのだ、と考えてしまうのは完全に錯覚にすぎないのだが、とにかく、現実に彼等のように目標を着実に叶えていく人達を身近な友人に持てたのは幸運だったと思う。

そして私の師匠はというと、最近モンゴル人でイケメンの彼氏ができてラブラブらしい。

まぁ、とにかく、お元気そうで何よりである。

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