川路聖謨『下田日記』で、コミュニケーションの難しさを改めて思い知った話

川路聖謨は江戸時代の役人で、江戸時代末期、開国を求めたロシア人と交渉もした方です。

川路聖謨の『長崎日記・下田日記』(平凡社 東洋文庫124 校注者:藤井貞文・川田貞夫)の
148ページから149ページにある話なのですが、

「魯戎、自分の顔をうつし参り度き旨にて、いろいろと申す。」(「いろいろ」の後半部分はくの字点を使用)
「再応申断り候処、聞入れず候間、」

ロシア人からの自分の顔を写したいという申し出に、断っても聞き入れない。そこで、

「元来の醜(ぶ)男子(おとこ)、老境に入り、妖怪の如くなるを、日本の男子也など申されんも、本朝の美男子のこころいかがあるべく、さて魯戎の美人に笑われんこといや也」(カッコはふりがな)
と伝えたそうです。

そうしたら、
「男の美悪を論ずるは、愚也、故に御懸念に及ばず、と申し候。」
と。
まあ外見についてあれこれ言うのは愚かなことだ、というのはその通りだ、もっともなことを言っているなあと思っていたら、
すぐあとに、

「よほど醜男(ぶおとこ)とは存じたれど、かくまでとは存ぜず。」

とあって、
えっ!と思ったのです。

しかしながらよく考えると、そう受け取ることもできるな、と思い直しました。
「醜いなんて、そんなことありませんよ」と否定するようなことも言わずに、そう言われたら、そう受け取っても仕方ないか、と。

ここでコミュニケーションの難しさを改めて思い知ったのです。
人はみんな違うこと、相手の身になって考えることの難しさを思い知らされたのです。
コミュニケーションにおいて、「相手の身になって考える」ことの大切さはよく言われている気がするけど、やはり難しいよなあ、と。
大切なことには違いないけれど、簡単なことではないよなあ、と。


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