屁という名の
こんばんは。
たばこドラゴンという名は、たばこもドラゴンも好きだしかっこいいのでくっつけて決めた名前です。去年スプラトゥーン3を始める時に考えたのですが、丸一年使い続けて気に入ったのでnoteもこの名前で続けていこうと思います。
ここ一年ほど、会社の同期と大学の友達の数名を集めて作ったDiscordサーバーのメンバーとゲームをしています。みんなゲームをやっている時は俺のことを本名ではなく「たばドラ」と呼ぶようになりました。「たばドラナイス!」とか「たばドラのとこ飛べる?」とか「たばドラ後ろ!」とか言ってくれています。呼びやすくて良いらしいので是非たばドラと呼んでください。
人は夜に狂うものとは申しますが、先日戯れに部屋の中で10年ぶりの内回し蹴りを敢行したところ、蹴り足を攣ってパンツが破け、軸足が滑って転んで尻餅をつくと同時に大層立派な屁が出ました。
数年来になる友人の結婚式の前日のことでした。光に満ちた未来へ進んでゆく友人を見送る会の前日に、俺は夜の闇に包まれた部屋でクソの香りと共に破れたパンツで座り込んでいました。(ちなみに俺は部屋の中では基本パンイチで過ごしています)
フローリングの冷たさを尻に感じながら残りっ屁と過ごす時間はいつもより静寂がよく聞こえたものです。
昔からケツを冷やすと具合が悪くなる体質なので、ケツの温度管理に余念がありません。
幼少の頃は尻冷えへの恐怖のあまり石油ストーブの前に生尻を差し出して遠火で調理しかけたことすらありましたが、もはや俺も27歳。そんなミスは犯しません。尻は甘やかさず、厳しすぎず、適温における管理が肝要です。
残暑があるうちはパンイチで過ごすことに何ら問題はありません。
とはいえフローリングの上に薄パンツ一枚隔てて長居をするのは危険でございます。
この危機管理の塩梅こそ、ケツ温度ケアにおける腕の見せ所です。
これより季節も曲がり角を迎えますので、読者諸賢にはぜひとも入念なケツ温管理を呼びかけたいものです。
残りっ屁が立ち消えていく間の数分、手慰みに昔の写真を見返していた。
どれも幸せな思い出ばかりだ。多くの友人に恵まれた。
自分の周りにいる人間は悪人ばかりじゃないという、今思えば噴飯必至のお間抜け事実に気づくことができた。
誰かと一緒に景色を共有することの美しさを知り、自分以外の人間を想うことの心地よさを知った。言葉にしてしまうとあまりに普遍的でつまらないが、ここ数年はそういったものを少しずつ拾い集めるような、かけがえのない時間だった。
「悪いポップはコビだけど、良いポップは思いやりだから。」という、宇多田ヒカルの古いインタビュー記事で読んだ一文をよく思い出す。大衆的であること、普遍的であること、ポップであることは時折悪いことであるかのように語られる。それは確かに一面の事実である。大きな流れに沿ったフォーマットの表層をなぞるような営みは宇多田ヒカルの言うようにコビであり、阿りだ。
反面、良いポップも必ず存在する。時間も場所も関わる人も違うのに、それひとつですべての辻褄が合ってしまうようなもの。俺が経験した普遍的な情動は、全く異なる出来事が発端になっている屈託を晴らしてくれた。
たまたま流れた星に人が願いをかけるように、ただの大きな岩に神の存在を見るように、ふと耳にした曲の一節に救われてしまうように。そんな偶然を産みだそうとする思いやりこそが良いポップたらしめる態度だ。
note、誰か読んでくれたらいいなといつも思っている。
良いポップでありたいと思いながら書いている。自分自身が救われたのはそういう一つ一つだったから。
そんな気持ちで書くのが部屋の中でずっこけて屁をこいた時のことなのかよと言われたら沈黙してしまうが、まあ皆ずっこけるし屁もこくでしょ。
まずは破れたパンツを捨てて、残りっ屁を換気して、ワイシャツにアイロンをかける。
明日は「友人の結婚式」だ。きっといい日になるだろう。
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