手向けたろか彼岸花

両親の離婚に伴って母方の実家に転居し、週に6日入っていた習い事の予定が全て消え失せた8歳の俺はこの世の春を謳歌していた。
当時の俺にとってはいかに効率よく家に帰りDSの電源を入れられるかが一日において何よりも優先するべき事項であったのだが、学校から帰るなり脇目も振らずゲームに心血を注ぐ孫を心配した祖母に自らが通う華道教室へ連れ出されるようになった。

元々植物を愛でることはどちらかといえば好きな方だったが、スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団 を放り出してまでやりたいことではなかったので少しだけ抵抗した記憶がある。とはいえ半ば転がり込むような形で家に置いてもらっていた身なので、最後は諦めておとなしく同行した。

俺は当時から手先が器用な方ではないと自認していたし、図画工作の授業の絵や作品は我ながら醜くて見ていられなかったので、わざと落として壊したり捨てたりしていた。
この教室もとりあえず適当にやって、退屈な世間話に相槌を打って照れ笑いでもしていれば終わるタイプの苦行だと思っていた。

だが、花を活けること、および活花について知ることは存外に楽しかった。
普段なんとなく目にしている花瓶や水盆に活けられた花々がどういう法の下でそこにあるのかわかるというのは新鮮で、加えて子供の興味範囲からするとなかなか手の届くことのない知識だった。
俺はそのうち、勧められるままに花を適当に活けてみたのだった。

花屋で売っている花や植物は売り物になっている時点で見栄えがいい。
そのため適当にやっても中々見栄えのいいものができるのだが、教室の面々は口々にそれを褒めてくれた。
中央にこの花を置くセンスは中々ないとか、枝を曲げる発想がいいとか、それまでの退屈なやり取りとは明らかに質の違う言葉をもらえたことが、子ども扱いから脱することができたようで嬉しかった。

それから中学に上がるまでの数年間、週に1回教室に通ったりたまに展示会に作品を出したりした。大成するきっかけの欠片もなかったが、時間をかけて何かを作り上げるという営み自体、褒められることよりも心地が良くなった。

今や花よりもプラスチックやコンクリートと縁深い生活を送っているが、それでもたまに彼女が買ってきた花束を花瓶に移してやる時や、祖母の墓に向ける花に触れる機会がある。
売り物になっている花や木は、特に花束になっているそれらはそもそも見栄えがいいものだけが残されている。
ただし、そこに在ってほしい形として整えていく。切る、刺す、矯める。
その間、頭の中には一切の雑念がない。花をもらった人、花を向ける人のことすらも、実は考えていない。目の前に在ってほしい形の影をただ追いかける。

出来上がったものを見るといつも満足する。自分がそう在ってほしいと思うものが目の前に在る。それだけで事足りる。
もう少し直せば、あそこで切らなければと思う時もあるが、切ってしまったものは基本的に元に戻らない。その取り返しのつかなさが好きだ。正確に言うならば添え木をして、それを隠すように活ければいいのだが、俺はそれを好まない。

時間が経つごとに花は枯れ、少しずつ元気を失っていく。それらを小まめに世話をしてやることも楽しい。活花の展示会は数日間開催されることが多かったが、そこにおける作品の全て、同じものが常に展示されていることはないのだ。そういう取り合えなさも好きだ。

見て楽しんで、いつか捨てる。単純に考えれば花と我々の関係性は華道に身を置いたことがあろうがなかろうが共通している。
持って帰ってきた花を2日経っても愛でたことがあるだろうか?いつしか枯れるのを待つ時間になっているのが常だ。それは悪いことではない。
ただ、どうせ最後には捨てるんだから、俺の好きにしたっていい。

祖母の一周忌で活け花教室の先生に会うことができた。
かなり腰は曲がっていたが、いまだかくしゃくとされていて非常に嬉しく思った。
会の終わり際、挨拶へ行った。先生の記憶の中の俺よりもだいぶ大きくなっていたことに目を丸くして驚かれた後、祖母の思い出話を交わしているうち、今度は目を細くして微笑みながら先生は言った。

「お墓のお花、あなたが活けたのね。」
「リンドウが綺麗に目立っててよかったわ。おばあちゃんは紫のお花が好きだものね。」
きっとこの先も、俺は誰かのことを考えて花を活けることはない。
小さい頃に活け方をかじっただけの半端者として、自分の好きなように弄るだけだ。

ただ、これが俺の活ける花に価値を見出してくれる最後の言葉だと実感した時、鼻の奥がツンとした。

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