季節もされど僕も青い

こんばんは。

今年のうまトマハンバーグが終売して数週間が経つ。
うまトマの強火オタクである春とヒコーキの土岡氏が出演しているバキ童チャンネルを猛烈に視聴している影響で、いつも見過ごしていた夏の欠片を今年は追いかけることができた。

販売期間中に4回くらい食べた。
冷笑主義ネット民のメンタルを持っている俺は、"うま"を食べ物の名前に背負わすってことは尋常ならざる覚悟と実力が前提だよな?というイヤなスタンスで実食に臨んだところ、一口目から食らわされた。食ったのは俺だけど。

トマトソースの中に香る程度では済まされないニンニクの圧倒的存在感。ニンニクTシャツを着たムキムキのマッチョがお出迎えしてくる様相を想起しつつ、ソースをすくい口に運ぶ。飯をかき込む。これだけで既にうまい。
おまえがおかずならば俺はどんぶりで50杯は軽くご飯おかわりできるよ。
ソース、ご飯、ソース、ご飯、その繰り返し。
みんなは知らない、うまトマソースの味。

めくるめくニンニクトマト飯の坩堝でしばし揉まれたあと、はたと気がつく。俺が握るスプーンの先がハンバーグに触れた。
躊躇なく抉りとる。ただし極めて小さく。
あえてソースと絡めることはせず、できるだけピュアな部分を。形成肉然とした雑多な味わいの奥に、確かな肉の旨味を感じる。

次の手、ソースをたっぷりと絡めて間髪いれずにかぶりつく。ジャンクさの単なるデュエットかと思いきや、ソースの暴力性を迎えるのはハンバーグの確かなパワーなのだが、2つが合わさった後の世界は不思議と調和が保たれていた。

不思議だ。人はこんなにもジャンクなものを食べながら、全く違う方向から嵐のように救われることがある。
パワー×パワー。圧倒的な正のエネルギーの重なり合いが、実に静かで穏やかな味わいを実現した。

不協和音がノイズミュージックになるように、うまトマソースとハンバーグの組み合わせは俺の心の琴線に触れ、揺らした。

荒ぶる食欲を飼いならし、会話なく平らげ、抱いた丼を机に置く。

四季の中で唯一、夏だけが「終わっていく」という感傷を与える。
それは夏という季節が孕む奇跡的な何かとの出会いを夢想し、それに出会えなかったことの後悔の発露である。
俺は今まで、うまトマハンバーグの影を夢想していたのかもしれない。それが全てではないにせよ、確実に一つの切なさを埋めることができた。

ごっそさん。
川のせせらぎが幾分背を低くした頃、入道雲と共にやってくる君を待つ。
きっと来年も、この街で。


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