その顔が誰であっても

こんばんは。

俺が幼少期を過ごしたのは変な町だった。
俺の家があったエリアには生活に必要な道具を買い出す施設が一切と言っていいほどになく、巨大な一軒家が立ち並ぶ中に歯医者や交番、郵便局が点在している程度だった。
唯一コンビニが1軒あったが、当時のコンビニは今ほどユースフルな存在ではなかった上、我が母も今より自然派に傾倒した存在だった。そのため、おつかいを頼まれた俺は近所の農家(!?)に野菜を買いに行き、自転車で数キロ離れたスーパーに肉を買いに行ったものだ。そしてそのコンビニも今はなくなっている。

代わりに自然豊かであった……というほどではないのだが、町の北部に巨大な公園が横たわっていたり、大きな川の支流が町の真ん中を通っていたり、森の中に神社や博物館があったり、見どころというべきスポットは点在していた。

その日は当時好きだった女の子と一緒に帰り、家まで送り届けた後、実は遠回りになる帰り道を一人で歩いていた。
100%落とすだろうという母親からの熱い風評被害により家鍵を持たせてもらえなかったため、学童で時間を潰すのが常だった。だがその日は好きな子と一緒に帰れるという一世一代の大チャンスを逃さないために学童をサボったので、どこかで時間をつぶさなくてはいけなかった。

確たる理由もなく、博物館の方へ足が向いた。
子供の足には山道といっても差支えない坂道を登り切り、博物館のある広場まで出た。
ハットをかぶった老人と、黒いコートを着た30代くらいの女性が噴水の縁に腰かけて話していた。それ以外に人影はなく、噴水の水音と彼らの話す声だけが聞こえた。
大人は平日は働きに出るものだということは小学生の俺でも知っていた。
ランドセルにつけた防犯ブザーの紐に手をかけながら、彼らに目線を注ぎつつ噴水をぐるりと迂回して端のベンチに座った。
二人はすっかり話に夢中になっているようで、突如現れた警戒心丸出しの小学生にはついぞ気が付くことはなかった。

後になって知ったことだが、その博物館は国文学系の資料館であった。加えて開館時間は11時から14時までと短い。ゆえに、人の出入りはただでさえ少ないらしかった。当時は平日に大人がこんなところで何を…?という不信感からの行動だったが、放課後に同級生を家に送り届けたというタイミングとその博物館の性質を考えてもその疑念は実際正しいのである。

ベンチの上でランドセルを抱えながら二人の話を聞いていた。細かなことは覚えていないが、老人がかつて日光に旅行に行った際、山の中でカモシカを目撃したということを言っていた。帰宅してから図鑑でカモシカを調べた記憶がある。人影に見えたものがカモシカだった、みたいな話だったと思う。

四方を森に囲まれた状況も相まって、俺だけが静かな秘密を目撃しているかのようだった。
最初は不信感から視線を注いでいたが、静謐を崩すように思われ、途中から目線を外してランドセルの紺色を見つめていた。
しっとりとした老人の語り口と、それに応答する女性のカラカラとした笑い声交じりの談笑に耳を傾けているうち、気が付いたら眠ってしまっていた。

視線をあげると二人は姿を消していた。
すでに日は暮れ噴水も止まっていて、吹き抜ける風とざわざわと騒ぐ木立の音だけがその場に残った。俺は夜を恐れる子どもだった。街灯もない帰り道を思うと泣きだしそうだったが、すぐさまランドセルを背負いだして帰り道を急いだ。秋の夜の空気は冷たく、息をするたびに喉に張り付く。ヒュウヒュウ言いながら、恐怖を必死に見て見ぬふりをして走った。そうしてやっと出口に差し掛かる角を曲がったところで、肩を並べて歩く老人と女性の背中が遠くに見えた。

知らない大人ではあったが、今度は人の姿が見えたことの安心で泣きそうだった。声をかけて一緒に帰ってもらうことは出来ないと思ったが、気持ち距離を近づけて帰ろうと思ったその時、女性がこちらを振り向いた。

俺の暮らした街には森の中に神社や博物館があった。
その顔が、人であっても、カモシカであっても不思議はない。

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