かたち
少年の父親の実家は埼玉県の山奥にあった。
祖父母が板金工場を営んでいたので、職人や在住のお手伝いの老婆が頻繁に出入りしていた。少年はそのうちの一人である、下の歯と上の歯が2本ずつしかない職人のおじさんによく遊んでもらっていた。
工場の中にブランコを作ってくれたり、コンプレッサーで砂ぼこりを吹き飛ばして遊んだり、ちょっとした力士くらいの大きさのドラム缶を転がしたりぶっ叩いて大きな音を出したりしていた。おじさんの作業服にしみついた煙草の匂いが好きだった。
工場の裏手には祖父が道楽でやっている畑があり、その奥には背の高い藪が広がっており、少年が普段暮らす街ではお目にかかれない虫が多くいた。バッタ、ダンゴムシ、ミミズなどはかわいい部類で、ガガンボ、ムカデ、アシナガバチにアブなど、攻撃性に特化した毒虫の類が殆どであった。
少年はそういった毒虫を手に捕まえてはしばらく眺め、自然の大きさをそのまま体現したかのような体躯と迫力に敬服の意を覚えながら解放してやるのだった。
父親の盆休みに合わせて帰省した日、祖父母への挨拶もそこそこに済ませ、いつものように藪の中に分け入った。
持たされた水筒の中に入った氷をカラカラ言わせながら、祖父の大きな麦わら帽子を目深にかぶり、藪の中に身を沈めて少しの動きも見過ごすことのないよう姿勢を低くして半歩ずつ歩く。
そうしているうちに、一匹の蟷螂と目が合った。
蟷螂は細い葉の上に立ち、両腕を持ち上げて少年を威嚇している。
捕食者の立場にある蟷螂は、自分より大きな存在を前にしても一向に退く様子を見せない。その蛮勇が好ましく思え、蟷螂の背を掴んで掌に載せた。
田舎の肥沃な土壌と豊かな水源、それらに育まれた他の虫のおかげか、蟷螂の腹はでっぷりと太っていた。
少年はかつて理科の教科書で読んだ蟷螂の捕食を思い返していた。チョウやバッタが目の前を通ろうものならば、両腕の鎌で以て捕え、頭から貪り食うのだ。
人間とはまったく構造の異なる体を、いったいどのように動かしているのだろう。掌の上の生き物の、命としての強さはどこから生まれてくるのだろう。心はどこにあるのだろう。いま自分の掌の上で、生殺与奪を他者に握られているという状況を理解できているのだろうか。
少年はその蟷螂の四肢をもぎ取って投げ捨てた。
足をもいだ時、腹の部分から白い液体が漏れ出て、ハリガネムシのような黒い線が姿を現した。少年の思考を支配していたのは単純な好奇心であったが、犯し難い命を軽んじてしまったという後悔も卒然あふれ出てきた。
8月の真っ白な烈日を背にし、足元の影の形を見つめながら歩いて帰った。自分と同じ動きをする影がひどく気味悪く、大きく腕を振りながら歩いた。
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