矩を超えて

(去年上げるか迷って、一部直して上げました)

俺の職場はコロナウイルス感染拡大の影響を受けている。

医療現場のそれとは比べるべくもないが、社員から濃厚接触者になったことや検査で陽性反応が出たという報告が部署の担当者である俺の元へ昼夜を問わず相次いで届いている。

もともと盛んに飲み会を開催していた業界なだけあって、3週間くらい前まではあらゆる部署で歓迎会やら交流会やら取引先との会食がおこなわれていた。

世情的にもそんな感じだったと思う。
なので、ある程度仕方のないことだと思っている。
緊急事態宣言や蔓延防止措置が解除されても引き続き気をつけていきましょう!という言説が大勢にとって絵空事だったのは厳然たる事実だ。

なにより、俺の仕事は報告を上げてきた社員に対して倫理や道徳を説いてやり込めることではないので、今後の動きについて本人やマネージャーを交え極めて淡々と合意を取る。

ショックを受けているのは誰よりも本人だ。
大体の人は、お手数をおかけしてすみません。自分の認識の甘さが招いたことで云々という長い長い謝罪文を寄こしてくる。そうでない場合は、なんで私が業務から遠ざけられなきゃいけないんですか?感染報告を上げていない人だっているのに、出社しなければ罹患しなかったのにと逆上される。後者は稀なケースだが、どちらも大きなショックを受けていて、自分の置かれた状況の明確な原因を欲しがっていることは共通している。

原因を探すというおこないは不毛になりがちだ。
俺のお気に入りのポットが割れたのは単純にポットが床に耐久度を超える威力を伴なって落下したからだ。
俺の手が濡れていて陶器を触るには不適切だったことも影響しているかもしれない。だが、手が濡れていたのはその前に洗顔をしていたからで、手の拭き具合が甘かったのはその前に宅急便が来たので充分なタオルドライをおこなえなかったからで、洗顔をしたのは母親から洗顔と保湿くらいは日々おこないなさいと刷り込まれてきたからで、その刷り込みを受けたのは母親のもとに生まれたからだ。
つまり、突き詰めるとポットが割れたのは俺が俺の母親の元に生まれたからだ。なんてことだ。生まれてこなければお気に入りのカップが割れることもなかったらしい。そりゃそうだ。

というのは半分冗談だし、そもそも濡れた手をちゃんと拭けばよかったじゃんというだけのことだが、どうしてこうなった?を追求しすぎるのはそれぐらい馬鹿らしいこともあるのだ。
どれだけ過去の行いを悔いようが、そういう行いをした人を責めようが、何ら状況は変わらない。考え続けるだけで不幸になる人間の方が多い。そして遡っていくと大体の結論は生まれてこなければよかった、になる。そんな笑い話にもならない自傷行為に何の意味があるだろうか。

一方、そうも言っていられない状況も存在する。俺が相手にしているのは恐らく飲み会やら会食やらで感染したと思われる人たちであるが、会社の外には本当になんの覚えもないのに罹患し命を落とした人だってたくさんいる。そういう人たちに対して「原因を考えるのは不毛だよ」と知った口を聞くことのグロさは想像に容易い。
誰かのせいに、何かのせいにしないと立っていられない状況は存在する。
更に言うなら、俺が相対している会社の人たちも何の覚えもなく感染し、果てに命を落としていたかもしれない。そうであった場合、俺は今と同じ温度で原因を究明することの不毛さを説くことができただろうか。

だから、時にはそういう行き場のない「なぜ」を受け入れてもいいなと思うようになってきた。
遣る瀬無い気持ちの風向きを俺、ひいては俺の先にある組織の方に傾けることで晴らせるならそれでいいかなと思う。
根拠はどうあれ理由があることで納得されることもあるだろう。
明言は避けるが、そもそもそんな思いをする人を減らせるないかと社内で動いてもみた。
結果はけんもほろろ、提案はこれ以上言われようがないほどにこき下ろされ、俺はまた一つ社内で評判を下げ自宅にて痛飲した。

良かれと思って動いた結果得たものは何もなく、弊社は当時と何も変わらないスタンスでいまも運営が続いている。
ただ、あなた方が苦しいままでいることが嫌な人間もいるとうっすらとでも知ってもらえることで、行き場のない気持ちをいくらか和らげることができていたら良いなと思う。実際そんなにうまくいくわけないと承知しているが、自分の選んだのは何も得られないとわかっていながら動くこともあるポジションなんだと、最近になって受け入れられるようになってきた。

立派なことをしているつもりもないし、事実何も成果は残せていない。
それでも、成果や論理という規範から外れた遣る瀬なさをたまには引き受けたいのだ。
仕事によって少しだけ成長しているのか、生来の気性なのか、自分の行動の底にあるものの正体ははっきりしていない。
ともかく、自分にとって正しい道を選びたい。

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