もう題名にパクノダってつけるのやめよ笑わけわからんくなってきたw

前回の続きからいきましょうかね

大阪の中で泉州よりもレゲエ不毛の地。

北大阪

いまでこそそんな隔たりがないけど、
あの頃は泉州出身の演者に比べるとかなり数は少なかったと思う。
でもイベントの大半がみんなが集まりやすい
ミナミでやってたこともあって泉州1強時代から分散して
大阪の各地から演者がでてきた。

世代でいえばオレらの1つの下ぐらいの世代になるんかな?
ここは層が暑くて
ベス、ヒサトミ、チェホン、ナチュラルウエポン、翔、タクジー
ビッグベアー
もっとおったような気がするが…

みんなにはおなじみの名前がズラリやろ?
ホンマに層があつかったな。

中でもひと目見てヤバいなと思ったのは
ベスとナチュラルウエポンかな。
最初からヤバいの反則やん…と思った記憶がある笑

見た時ひと目でヤバいと思ったけど、
それを認めたくない自分と負けたくない自分のはざまで
なんともいえん顔で

「まあ、若手にしてはやるやん」と負けず嫌い発動してたなw

歌がヘタなヤツでもできる音楽がレゲエという音楽やったハズやのに…
って笑
あとベスに関しては男前やろ

「コイツずるいわ。この世界、二兎を追う者一兎も得ずってきいてますけど〜」ですよ笑


そんな若手が台頭してきたのもあって
さらに大阪は帝国になっていく。

FIREWORKSのディージェイだった、
モンゴ、エクスプレス、ゾベ、ハイブレッドの4人は
FIREWORKSを脱退し、
そこにステレオンを加えて新たに

55LEVELをスタートし、ペクーはバーンダウンに帯同して
色々と露出しだして活動は加速していく。
オンギャはくすぶってる時代がめちゃ長かったけど、地道に活動して
みんなに知られるようになったのはいうてここ数年のこと。
自分のことのようによかったと心から思った。

なにがよかったかというと、音楽をすることでその対価を得ることは
もちろんなんやけど

それよりも

自分の音楽をさらに多くの人に聴いてもらえることのほうが重要。


決してキレイごとではなく、
そう願ってもずっと聴いてもらえなかった時代を経験してるから。
そしてそこで道が分かれる。
主張し続けるヤツとやめていくヤツ。
もっといえばオレらみたいなモンは結局
大人になりきれへん子供
歌でずっと「オレの話を聞いてくれ」っていうてるんやから。


オレ?売れ残りですよっ!
あの頃から次はタバチの番やな!と言われ続けて…今です笑
いろんなチャンスはあったんかなぁとは思う。
それをことごとくスルーしていくという
天性のチャンススルー能力を発揮して…今です笑

まあ色々ありますわ。
1番はやっぱコミュニケーション不足かな

じゃあオレはその頃どう考えてたか。

くやしいに決まってるでしょ

周りが加速していくのを横目でずっとみてましたから。
でも今にして思えば
歌う、ライミング、心地よいフロウを作る。のと
同じようにコミュニケーションもスキルの1つやったんやと思う。
圧倒的にそのスキルが足りてなかった。
多分、それだけのこと。
あとはその不足をものともしないほどの歌うスキルがあれば
よかっただけのことなんやと思う。

ここ最近で言えば、例えばADOとかまさにそうでしょ
圧倒的な歌唱力が自分に不足してるモノさえ凌駕して向こうから人が来る。
まあADOを引き合いにだすのは大層やけど。

コミュニケーションを武器にできへんなら
スキルでカマすしかないってことです。
それができんかった時点でダメです。

それは頭ではわかってるけど…

この頃はアナキン・スカイウォーカーばりに闇堕ちですw
その頃のことを思い出して書いたのが、

「あのころはちょっとだけダークサイド」って曲です。
配信、サブスクで聴いてくださいませ


そのダークサイド時代ぐらいかな。

トントンが北海道に行ってて
「北海道こないすか?」って笑

「近くの居酒屋でのんでるんでのみにこないすか?」みたいな感覚でw

アホでしょ笑

だからさすがに遠いと思ってオレもいうたんですよ



「わかった。いくわっ」って笑


これがオレらが若かった時のバイブスとノリですw


仕事?なにそれ?
秒でやめてやりましたよっ

クソでしょw

でも大事な気がしたんです。その冒険というか見知らぬ土地にいくことが。

「でもその前にブッキングあるからそれ終わったらその足でいくわっ」って
で、最後のブッキングの地が岐阜です。


オンギャとペクーと3人でブロックやったかな?いきました
その当時、G2や音斬草によばれて。
(音斬草のタフワン、ケースナ、それに獅子丸とアローが組んで
現在はスピーカーズとして活動してます)

当時、音斬草にはボーンってヤツがおって(もうやめてしまったけど)
それがオレのリアルいとこでよんでもらった。

いってみたらステージに歌い手が20人ぐらいおって
よんでくれたメンツは歓迎ムード、
あとはいつものごとく「大阪がなんぼのもんじゃい!」バイブスですw
でもラバダブが面白かった記憶がある。
岐阜のヤツらはラバダブめっちゃうまいっすから。
その系譜が今のファルコンとかにしっかり受け継がれてる
今も岐阜=ヤバいって印象はずっとあるな。

ここで余談ですが、
オレが大阪で切磋琢磨してる時期に
東海の演者で聞いた名前は
サウンドはアーセナル、バンティ、フジヤマ、サムライ、
ファーストデザイン、オーディオミックスかな。
歌い手はほとんどきかない。
売出し中やったG2と音斬草ぐらい。

でもG2も音斬草もどんなヤツかも見たことはなかった。


ある日、オレが朝、イベント終わって家に帰るとオカンが
「あんたの隣の部屋に〇〇寝てるよ」という。
(〇〇は名前なんでふせときます)

オレ「なんであいつ大阪来たんや?」
オカン「音楽のイベントが…とかいうてたな」
オレ「ふーん」
隣の部屋でガサゴソしてたから開けると起きてたから

オレ「久しぶりやんけ、音楽のイベントどこいってたん?」
  「テングいってた」
オレ「テング?確か今日レゲエのイベントやってたな。おもろかった?」
  「うん」

 ※この時はまだいとこがイベントに遊びに来たただのレゲエ好きと思っている

  「あっそうやこれ」とステッカーを差し出される
オレ「音…斬……草。ああ最近名前聞くわ。ヤバいらしいな。」
オレ「ん…なんでステッカー?音斬草見に来たんか?」
  「ちがうよ。歌いに来た。」
オレ「?????お前レゲエやってんの?」
  「いや、だからステッカー」
オレ「お、お、お、お前が音斬草かいっ!」

で知りました笑
それまでレゲエやってるとは知りませんでしたからw

そしてよばれて岐阜に。

終わって早朝東京に向かいそこから飛行機で未開の地


北海道へ



ここでもいろんなことがあったな。
それはまた次回 
                     TABACHI






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