オレの見てきた景色を銃(曲)に込めて撃ち込むまるでクモ(幻影旅団)のパクノダ〜🎶

タイトルなんやねん!って思った人もおるやろけど、オレの「わがまま」って歌の一節ですw←←(配信してます。よろしくどーぞ)


さあ、今回はマジメな回ですよ笑
ってか久しぶりやなー
ってか自分の曲のことやってましたわ
申し訳ないです。


それじゃ過去について語りましょ

タイトル通りのテーマ!オレが見てきた景色をnoteに
撃ち込むってことで進めていくっ

今回も長くなりそうだ
なぜ見る側(お客さん)から見られる側(演者)になろう。と思ったのかを
前編(目覚めサイド)、中編(お客さんサイド)、後編(演者サイド)に分けて書こうと考えてるよ
普段は「オレは多くは語らないぜ」バイブス満載なんで
オレの周りの人間も知らんかったこともあるかもね。

なお、この記事を読んでる人にはわからない
マニアックな話もあるかと思うけどできるだけ説明するけど
至らないとこはググれ。←←←(投げっぱなしスタイルw)
ではいざ尋常に


レゲエを最初に聴いた時の印象は「なんにも感じなかった」
が率直な感想で、ジャマイカの音楽って認識あったぐらい。
当時は「ジャパレゲ」っていう単語すらないくらい
レゲエを歌ってる日本人なんてほぼほぼおらんかった。
というか知らんかった。
だから当然オレが最初に聴いたのはレゲエはジャマイカンで

たしかSHABBAとかSHAGGYやったと思う。
ツレの家で聴いたんやけど、ツレが「めっちゃシブいわ〜」
を連呼してウンチクたれてたけど

オレは「コ、コイツ、ちょっとカジッたぐらいで違いのわかる男を演じている。」ってずっと思ってたわ 笑

絶対良さわかってないやん。ってw



当時はサーファーがホンマにめちゃめちゃ多くてサーフィンやってたら
顔のクオリティが下の上ぐらいでもギリ女のコにモテる
っていう謎が謎をよぶ時代で、

「えっ?生まれてこのかたずっとうつぶせで寝てきた?」ってぐらい
鼻の穴が前向いてるブサイクがカワイイ女のコ連れてたりして
オレが女でもお前はムリやぞ!ってヤツが遊びまくってたり
もうメダパニですわw

オレのツレも本気なのかイキってたのかみんなこぞってやってたw

(ちなみにオレはやってませんw
太陽と海、あとココナッツの香りのする
サーフボードのワックスは陰キャには毒や。
まぶしすぎて直視できんかったわw
あっ!でもサーファーがよく吸ってたガラム(タバコね)は
好きやったな)
注: 部屋で吸ったらにおいで一発で部屋終わりますw

サーフィンやってないのにサーファーのような振る舞いするヤツ、
サーファーぶってサーファーブランドの服着てたりするヤツを

「丘サーファー」って造語ができるくらいサーファー多かった。

めっちゃ話それたなw

その時、サーファーの人達がみんなレゲエ聴いてたからか
レゲエブームが到来してめっちゃ盛り上がってた。

センパイにもサーファーがおって(この人はガチサーファーね)
その人がレゲエずっと聴いてて、「お前、BOUNTY KILLER知ってるか?
今ジャマイカでめっちゃアガってんねん」
っていうてたのを覚えている。
当然レゲエに興味なかったし知らんかったけど

今、思えばこの何気ないセンパイの言葉がオレが音楽にハマるキッカケやったような気がする。


なぜならこの先、BOUNTY KILLERがずっとオレのヒーローやったから。


なんで興味ないのに聴こうとおもったのかも思い出せへんけど
BOUNTY KILLER (長いから、以下ボンティとよぶわ)を最初に聴いた時の
記憶はスゴイもんで今も覚えてる。
「Down in the Ghetto」ってアルバムで
誰もおらん暗い部屋でヘッドフォンして爆音で聴いた。
もちろんパトワ(ジャマイカの言語)なんかわからんねんけど、
音楽聴いてサブイボがでた経験はその時が初めてで、
爆音で聴いてたからベースのヤバさも
手伝ってたんやと思う。
音楽って世界共通のモンやと思った。
耳から血でるくらい聴いたわw
全身 ざわざわ ざわざわってなった。



大阪の茨木に当時「ミサワランド」(オレら世代の北大阪の人間なら
名前で多分ガンフィンガーあがります 笑)ってのがあって
基本はクルマの修理屋さんなんか?タイヤ屋さん?かな
でも謎にそこにはそこらへんに売ってないレゲエやヒップホップのCDが
網羅されててあと7インチも少し売ってた。
そこでゲットしてずっと聴いてた。
多分北大阪出身の歌い手やサウンドマンはみんな行ってたと思う。

この時点ではもうレゲエのブームは過ぎ去って
「音楽なに聴いてるん?」と聞かれ「レゲエ」と答えると
「えっいまだに聴いてんの?ダサっ」っていわれたこと
あるくらい「流行りのジャンルやった」ぐらいの認識の
音楽になってもうた。
オレがハマった時には、
今じゃお目にかかれへんぐらい超氷河期になった。

そんな氷河期なんてことなる?と思ったそこのあなた!
多分普通ならそんなことならんのやと思う。
でも当時、まだ全然定着もしてないジャンルが
たまたま「ブームがきただけ」
ブームがすぎさったら……みんなにも想像できると思う。
ファッションや食なんかではそれがより一層でるやろ?
一回爆発的に流行った先は……である。

でもオレの中で音楽、レゲエってヤツはファッションではなかった
んやろな。
ダサいといわれても一向に気にならんかったし。

そこからどんどんディグっていくことになる。

ネットのネの字もない時代、そんな小さい島国の音楽の
情報なんてものも皆無で知識もない。
多分、だからこそ流行りや情報に惑わされずに自分の耳と感性のみで
ディグっていくことになったしハマるキッカケに
なっていったんやと思う
そして今もフェイクやコピーじゃなく
自分がオリジナルであるために必要な要素になったと感じる。

そうかんがえると情報があふれすぎるってのも考えもんやな。
「ないからないなりに考える。」これは大事よ。
今の時代、情報がないことのほうが珍しい。
だからいろんな考えること放棄してしまいがちになる。
なぜなら考えるより先に指先が動く時代になってしまった。
そういう意味で今の若いコってオレら世代よりも大変なのかもしれん。

ボブマーリーよりも先にボンティのヤバさを知ってしまったからはじまった。


だからそこからダンスホールレゲエにのめり込んで
舞台は必然的にクラブへと移っていくことになる。
いろんな人間に出会うことになる。

この続きは次回!中編(お客さんサイド)で書いていくよ
大阪レゲエの昔話がいっぱいでてくるかな。

長い文章よんでくれてありがと

では                  TABACHI

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