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「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」スタッフSP 山中カメラとは一体何者でどこへ行くのか? /楠見清


メディアアーティストとしての山中カメラ

 山中カメラさんを初めて知る人はまずその名前に「?」と思うのではないでしょうか。
 作曲家なのになんでカメラ?
 当初、現地で滞在制作した音頭をお披露目するボンダンス大会のチラシに「出演=山中カメラマン」と誤記されたこともあるそうです。まあ、いつのどことは言いませんが、親につけられた名前じゃないにしてもカメラは変だろう、人間なんだからカメラマンだと勘違いした方がいたんでしょうね。

 でも、みんな彼に会えばすぐに「カメラさん」と呼び慣れてしまい、作曲家なのになぜカメラなのか、という最初の疑問について考えることを忘れてしまいます。

 本人の言うところでは、この芸名、いやペンネーム──違いますね、アーティストネームですね──は1999年BOX東中野の写真ゼミ時代にまわりから呼ばれていた呼び名で、当初はカタカナで「ヤマナカカメラ」と記されていたようです。ここでハハーンと気づけるのは写真界隈の人だけかもしれませんが、1980年代に木村恒久というフォトモンタージュの鬼才が出した作品集がその名も『キムラカメラ』。写真雑誌『アサヒカメラ』の当時のロゴを模したデザイン自体が出版物として大いなるパロディになっていたわけですが、以後「○○カメラ」は個性的なワン・アンド・オンリーな写真表現に与えられる称号になっていたんじゃないかと想像できます。

 そんな写真界隈の呼び名がやがて現在と同じ漢字仮名まじりの「山中カメラ」になることで急に同時代のカルチャーシーンとのシンクロ率を高めました。苗字を漢字にした途端、吉田戦車や石野卓球といった下の名前が一般名詞のサブカル系表現者たちに共通する面白主義と実験精神を背景にもつ名前に見え始めたんですね。同時に使い始めた「特殊写真家」という肩書きもオルタナ系に共通するタグのようなもので、当時ほかにもいろいろな「特殊○○家」を名乗る若手クリエイターがいましたが、いちばん最初の大元は「特殊マンガ家」を名乗った根本敬さんだったはずです。「特殊」はすでにありふれた「前衛」よりも先端的で孤高な表現者を表す称号だったのです。

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 「特殊写真家」っていまにして思えばすごく意味深な肩書でした。特殊であるということはただの写真家ではない、普通じゃない、既成の枠からはみ出した存在、アウトサイダーであることを宣言しながら、写真家とは何かという自己言及を抱えた存在のようにも映りました。かっこヤバイ系ですね。

 実際、山中カメラは写真のスクールに通いながらも、カメラを使って撮ったり焼いたり飾ったりするいわゆる「写真」ではなくむしろ「写真機」というテクノロジーに、正確にはそれをツールとして用いたとき引き起こされる行為に傾注していきました。もともと音楽をやりたかったという彼にとっておそらくは「音楽」すら同様で、楽器と演奏家によって生成される音楽をメディアとして用いたときに引き起こされる現象のほうに関心が寄せられていく。その結果、導き出された表現が新しい盆踊り=ボンダンスだったのです。それはジャンルを越えた一種のマルチメディア表現ととらえることもできるはずです。

現代アーティストとしての山中カメラ

 初期の特殊写真家時代のパフォーマンスに「カメラ寿司」という人気の演目がありました。白衣姿の山中カメラがクラフトワークの「電卓」のリズムトラックに合わせて「ボクハシャシンカ、カメラカタテニ」と歌いながらカメラの裏蓋を開け、パトローネを収めるくぼみに酢飯を詰め、閉じた蓋をもう一度逆さに開くと見事なシャリが現れる。それにスライスされたチーズを載せて「ハイ、チーズ!」。

 ふざけた宴会芸の延長線上のようでいて押さえどころはちゃんとポップでかっこいい。フルクサス時代のナムジュン・パイクのイヴェント──墨をつけた頭を紙に押しあてて書をしたり、ヴァイオリンを居合のように叩き割ったりした──はきっとこんなだったのかもしれない。アヴァンギャルドからニューウェイブを経由した自己言及は、写真家としては特殊だったぶん現代美術の文脈には見事にはまって見えたのです。

 その後「現代音頭作曲家」を肩書きに名乗るようになってからの山中カメラさんについては多くの方の知るところでしょう。そして、今回初めてリリースされたCDブック『山中カメラ現代音頭集』にはそんなボンダンス・コンポーザー山中カメラの10年分の作品が収められています。

 山中カメラ作品のCD化を望む声は、それを盆踊り大会で使いたいという全国各地のみなさんをはじめ、アート関係者の間でも以前から強くありました。なかでもこの企画を長く温めてきたのが画家の海野貴彦さんで、彼の呼びかけでアートプロデューサーの山口裕美さん、アートディレクターの芹沢高志さん、そして編集者の私を前にプレゼンテーションしてくれたのがかれこれ5年前のこと。

 それからの海野さんは謎の病で床に伏したカメラさんを励ましながらサウンド方面の制作準備を進めていたようです。そんなこんなで時が経過して気がついてみたら世の中はクラウドファウンディングの時代に。「山中カメラ現代音頭集」制作委員会を立ち上げ、支援者のみなさんのお力を借りてこうして刊行の運びとなりましたが、ここまでの海野さんの尽力については筆舌に尽くしがたくも本人のみぞ知るところなのでメディア関係の方どなたか海野さんにインタビューしてください。私も知りたいです。

 さて、本格的にこのCDブックの制作を始めるにあたって私がまず掲げたコンセプトは、史上最後のCD。

 楽曲のデジタル配信が進んでCDのリリースが減っていくなか、それでもフィジカルな記録メディアで出すのなら、廃棄されることなく最後の一枚になっても未来に残されるCDを作ろうと。このCDがディスク面に何の文字が記されていないのは──使いにくいという声も聞かれますが──未来には最後に一枚残されるCDだから何も書かれていなくても問題ないという過激で挑戦的な姿勢の表れ。真っ白いミニマルなレーベル面は無言のようでいて実はその唯一無二性を強く主張しているのです。

 芸術家が作るオブジェとしての本はブックアートと呼ばれ近年再評価されていますが、本作はデザイナーの小池俊起さんとのコラボレーションによるマルチプル(複製作品)として読んで聴くだけではなく購入者が手元でコレクションするべき一冊になるようにデザインされています。

 と同時に、現代音頭=ボンダンスは鑑賞者が耳で聴いて踊ることで完成する観客参加型の作品であり、テクノロジーを用いたメディアアートでもある。さらに近年全国各地で盛んなアート・フェスティバルやアート・プロジェクトに見られるように、形あるものではなく人びとの関係性を創造するというソーシャリー・エンゲージド・アート(社会関与型芸術)の側面も大きい。収録曲のひとつひとつは作者が各地の人びとの暮らしの中に入ってさまざまなコミュニケーションを通じて作り上げたアート作品。いわば無形の芸術のドキュメンテーション(記録集)として厳密な編集が行われました。全国の美術館のライブラリーにもぜひ常備してもらえたらと思います。

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音楽家としての山中カメラ

 とはいえ、現代音頭はやっぱり音楽の作品。音楽として面白がってくれるリスナーの輪が広がることがCD化最大の目的です。

 でも、地方のご当地音頭ばっかり11曲なんて音楽アルバムとしてはやっぱり異色、ですよね。一昔前なら誰も聴かないような珍奇なサウンドをモンド・ミュージックと称して面白がって漁るリスナーがいたのですが、いまはモンドとかいってもヤコペッティ監督の映画「モンドカーネ」──「世界残酷物語」の邦題で公開されたモンド・ムービーの代名詞、というかイタリア語で世界を意味するmondoはここからビザール(奇妙)でストレンジ(奇天烈)な文化趣味を表す接頭辞になっていった──を若い人は知らないですからね。

 それにしてもテクノポップが好きでクラフトワークや坂本龍一を尊敬するカメラさんがなぜここまで音頭に傾倒して行ったのか──そう考えながら大瀧詠一さんにこれを聴いてもらいたかったと思うのは私だけではないでしょう。大瀧詠一は2013年の暮れにリンゴを喉に詰まらせて突然亡くなってしまいましたが、日本語歌詞によるロック受容という長年の課題を達成した歴史的なバンド、はっぴいえんどを細野晴臣とともに牽引したミュージシャン。細野がのちにイエローマジックオーケストラ(YMO)で日本のテクノポップを生み出したことは有名ですが、その一方で大瀧詠一はソロや自身のナイアガラ・レーベルでシティポップ(最近リバイバルがめざましい)と呼ばれた都会的なサウンドを打ち出していく中で一種のコミックソングの文脈で「ナイアガラ音頭」、ワールドミュージック的な観点から構築された「レッツ・オンド・アゲイン」、さらに歌謡曲として国民的民謡歌手・金沢明子へ提供した「イエローサブマリン音頭」などさまざまな音頭を発表していたことは音楽好きの方ならきっとご存知でしょう。

 大瀧詠一の音頭についてはカメラさんもあとから知ったそうですが、テクノポップと音頭をつなぐラインがすでに日本のポップ・ミュージック史の中にあったことはきわめて暗示的です。本書ブック1の中でも山中カメラ本人が詳しく解説していますが、最初に作った「取手マルトノ音頭」が戦前のフランスの電子楽器オンド・マルトノにかけた駄洒落から生まれたり、徳島で作った「神山スダチ音頭」が阿波踊りの笛を、鹿児島で作った「吹上砂丘音頭」が鹿児島おはら節のメロディを取り入れていたり、甲府に伝わる縁故節を再生させたりといった作曲の方法や姿勢の中に、古くは伝承民謡から現代の大衆音楽や実験音楽までを結ぶ壮大な音楽史の流れが内在していることを知れば、音楽ファンなら大いに感動することでしょう。

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メディエーターとしての山中カメラ

 それにしてもいまなぜこんなにも盆踊りが面白いのでしょう?

 盆踊りとは本来、お盆の間だけ還ってくる死者の霊との交流を楽しむ祭りの踊りであり、そこで用いられる音頭とはあの世とこの世をつなぐ魂のダンスミュージックだったはずですが、江戸時代には男女をつなぐ出会いの場となり、また近代には地域社会の結束を高める行事として大衆化していったようです。

 異なる世界をつなぎひとつの輪に結ぶ盆踊りを現代アートにした山中カメラのボンダンスもまた誰かと何か、心と体、個人と社会、アートと音楽、大衆文化と実験芸術、伝統と前衛、過去と現在といった異なる世界にある異なるものをつないで結ぶメディウム(溶媒)であり、それをこの世の向こう=あの世や遠い未来に伝えるメディア(媒介)なのだといえるでしょう。

 音頭がいつの時代も身のまわりの楽器を使って作られてきたように電子楽器やコンピュータなど現代のツールを使って作られるのが現代音頭だと定義する山中カメラさんは現代のメディウム(霊媒者)であり生来のメディエーター(媒介者)なのだといえるのではないでしょうか。

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楠見清
美術編集者/評論家。元『美術手帖』編集長。美術書・雑誌の編集に携わりながらアートシーンとその周辺にある音楽、映像、マンガなど諸領域の文化的接続をテーマに企画や執筆を行う。著書に『ロックの美術館』、共著『もにゅキャラ巡礼──銅像になったマンガ&アニメキャラたち』『20世紀末・日本の美術──それぞれの作家の視点から』、分担著『現代アート事典』『絵本の事典』ほか。展覧会企画に「Krazy!」展共同キュレーター(バンクーバー美術館)、「江口寿史イラストレーション展・彼女」監修など。現在は東京都立大学(旧称首都大学東京)准教授。
「山中カメラ現代音頭集」制作委員会 編集ディレクション。



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