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さわる社会学/堅田香緒里 第二回 猫のように体をこすりつけろ (仕事文脈vol.12)

つん、と鼻をつくような臭い。アルコールや腐敗した食物、汗や排泄物が混じり合った、独特のすえたような臭い。今日では、まちを歩いていて、ふと出くわすことがほとんどなくなってしまった、人間の生=労働の臭い。横浜の寿町からこの臭いが消えていったとき、タネさんも、その臭いとともに寿町から消えた(タネさんについては、『仕事文脈』vol.11をお読みください)。

■ 観光客とクレンジング ―寿町の場合

 タネさんの生きた寿町は、日雇い労働者が多く住む寄せ場として知られ、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本の「三大寄せ場(ドヤ街)」の一つに数えられることもあった。とはいえ寿の場合、港湾労働を中心に形成された寄せ場であったこともあり、建設土木労働が主である山谷・釜ヶ崎と比べると定住傾向が強く、寿の地で家族を形成する者も少なくなかった。このため、寄せ場でありながら、女や子どもも多く住み、地区内には保育所や学童保育も設置される等、ともすると牧歌的な雰囲気さえ感じられる場所であった。1960年代の港湾労働合理化に伴い、寿町の労働者の大半も土木建設労働に移行するが、高度経済成長期には多くの日雇い労働者、そしてその家族の生=労働の場として活況を呈していた。
しかし1970年代以降、日雇い労働市場の縮小等の影響を受け、寿町でも仕事が減少していき、徐々に労働者も高齢化していく。こうして1990年代には、仕事を失ってドヤにも住めず、路上で寝起きする者の姿が寄せ場の内外で目立つようになった。今日では、そうした住民の多くが高齢者や生活保護受給者となり、かつて「日雇い労働者のまち」であった寿町は、「福祉のまち/高齢者のまち」へと変貌した。これに伴い、簡易宿泊所(ドヤ)も次第に新築・改築が進められ、エレベーターの設置等バリアフリー化が進み、概観も小綺麗になっていった
他方、改築されないままの設備の古いドヤでは空き室が目立ち、それがちょっとした「問題」となりながらも放置されていた。しかし2000年代になると、この空き室を利用した「ビジネス」がにわかに台頭してくる。空き室となった簡易宿泊所をホステルに改装し、新たに観光客を呼び込もう、というものだ。2005年に事業開始した「横浜ホステルビレッジ」は、その先駆けである。元町や中華街等の横浜の主要な観光スポットにほど近い立地の良さと、リーズナブルな価格設定を売りに、国内外からの観光客やビジネスマン等、これまで寿からは縁遠かった新たな層を顧客として呼び込もうという戦略だ。次第に、かつての寿町の景観やその独特な臭いは薄められ、観光客向けのクリーンで均質な空間に作り替えられていく。まちの「浄化(クレンジング)」と「再生」だ。

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