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虹色眼鏡 第9回/チサ/お酒を飲むこと、本当のこと、仕事のこと ロスト・イン・ザ・トレイン・トレイン(仕事文脈vol.17)

 列島を跨ぐ長距離移動をした仕事の終わりに食事を取らないでアルコールを飲んでいたら缶2本を開けたところで気がついたら倒れていた。胃をひっくり返す勢いで口から出てくる物も飲み込んだアルコールだけ。頭が砲丸のように重く、これからずっとアスファルトの上で頭を着けたまま生きるのかと思った。近くの店のオーナーや一緒に飲んでいた友人たちの介抱の声に動作と首の縦横の運動だけで返事をする。おいくつですか?「2(人差し指)1(指を二本立てる)」一人で来たの?「(首を横に振る)」体がどんどん冷えていくのが分かる。救急車の音が遠のく意識のなかで聞こえた。

私は生き延びてしまった。

「ビールは苦労の味がするんだよ」と漁港の町の小さな居酒屋で上司がいった。羽田空港のエントランスをくぐり、飛行機で数時間揺られて、ローカルタクシーのガタピシいう荒い運転で、吐きそうになりながら行くようなところで、夕方になると周りの家の換気扇から生活の暖かい匂いが、海に続く真っ直ぐな道に溢れた。移動の車窓では、左右の山地の間に広がる平野に海に向かって平たい屋根の家が俯瞰で見える。6階建のビルが目立つくらいには建物は平均的に背が低い。山の隙間から海が見える度に嬉しくなって動画をまわしてしまった。私の携帯のフォトストリームには車窓の海の写真でいっぱいだ。
 上司と、父親よりも少し若いくらいのクライアントと、汗が椅子にしみた居酒屋でアジのフライをつついて飲むビールは労働の終わりを祝福してくれる。仕事の後のビールは美味しかった。でもビールは何度口に含んでも苦い。次の日の朝も苦い。労働は苦い。

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