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【座談会】「論破」はどこからきてどこへ行くのか 〜世界NO論破〜/後編(仕事文脈vol.22)

「論破と戦う世界のいろんな事例を集めてみたらいいのでは?」そんなアイデアにより、「世界のNO論破」を調べることからはじまった今回の企画。ところが、準備段階として日本の「論破」について掘り下げてみると思った以上に根深いことがわかり……。論破の歴史とさまざまな海外のケースを語る、編集部の宮川、小沼、浪花による座談会です。

「話し合えば分かり合える」の前に

宮川:なかなか「世界のNO論破!」みたいな楽しい話に行きつかないですね(笑)。そういえば、小沼さんと浪花さんは学校の授業でディベートってやりましたか?

小沼:小学校の時、「『クレヨンしんちゃん』はアリかナシか」というテーマでやったことがあります。下ネタが多くて、嫌だと感じる人もいるのでは? という争点で。僕は自分がどっちについたか忘れちゃったんですけど、どっちの主張もわかる気がしてものすごい迷った記憶だけが残ってます(笑)。結論もちゃんとは出なかったような。

浪花:どっちもどっちで終わるならまだいいような気がします。私がやったディベートの授業は、ある問題に対してイエスかノーを選ぶんですが、考えが変わったら移動できたんですよ。それで、時間になったら多く人が集まったチームの勝ち。今思うとよくないやつでしたね。

小沼:空気を読んで意見を変える人も出てきそうだし、多数決のようでもあってディベートとはまた違うものかもしれないですね。今は小学生にもひろゆきが人気とか聞くけど、ディベートの授業とかどうなってるんだろう。中野信子さんと鴻上尚史さんの対談で、「ディベートは『論破』が目的ではない」と話していました(*3)。本来のディベートはまず賛成の立場で論じたら、今度は反対の立場にまわってディベートをするもので、物事を多面的に見るためのもの。相手の主張の面白いところを取り入れていくという姿勢が、日本では育っていないと話していました。論破ではなく対話するためには、このディベートの姿勢がきちんと根付くといいのかな。

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