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インタビュー「息抜きとしての雑誌づくり」/ 金井タオル(仕事文脈vol.18)

――お久しぶりです。今回は「息抜きとしての雑誌づくり」をテーマに、紙幅のゆるす限りお話を伺えればと思います。まず、お名前が……。

タオル 変わりました。ことの顛末はぼくがつくっているインディーズ雑誌の最新号(別冊つくづく① 「特集=友だちと互助会」)に載っていますが、ようは匿名性がほしくて。

――といっても、本名から大きくは変わってないですね。

タオル まあ、たしかに。

――本題に入りましょうか。どこかで「怠け」というテーマが個人で雑誌をつくる端緒であった、と書かれていましたよね。まさに、本号の「息抜き論」にも通じるのかなと。

タオル そもそも『つくづく』とは、「〝つくづく〟考え続けた自由研究を発表する実験誌」であり、雑誌をつくること自体が自由研究なんですね。

――何度聞いてもよくわかりません。

タオル 以前、インタビューしていただいた6号目(タオル自体を雑誌と言い張り、販売した号=写真)に掲載した文章がわかりやすいので、引用します。
〈さしたる頭もないのに、いろんなことに首を突っ込み、考えあぐねて、また日が暮れる――怠けることを探求する雑誌という意味で、「自由研究」というのはまさに、出合うべくして出合った「言葉」です。社会的に無益な〝研究〟に没頭する様は、他人から見れば「下手の考え休むに似たり」と一刀両断。さりとて当人は、面白いから没頭する。つまり、社会的には「怠けている」状態。誰に気兼ねすることなく「怠ける」には、自由研究に邁進するのが一番いいのです。〉
 伝わりましたか?

――もうすこし補足をお願いします。

タオル ぼくは、一応〝プロ〟の編集・ライターとして生計を立てていますが、金にならない実験誌をつくっているときは、本業を怠けているとも言えるのではないか。というのも、知人に「なんでつくっているの?」と聞かれても、うまく答えられなくて。

――そうした個人活動は名刺代わり、プレゼンテーションだ、とも聞きます。

タオル そこがまだ腑に落ちていなくて。たしかに創刊と同時に休刊した号は、仕事で実現できなかった企画をすべてぶち込んだルサンチマンの塊みたいなものでした。でも、その後にしれっと復刊してからは、ほかの出版社から出ている本を『つくづく』vol.4と称して販売したり、タオルを本だと言い張ったりと、まあ、やりたい放題。

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