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タバブックスの本棚から10─聞く者の問題

 これを書いている6月1日は彼女の命日だ。ちょうど1年前の今日、彼女は殺された。セックスワーカーに強い憎悪を持っていた少年に70ヶ所刺されて死んだ。
 私は当初事件のことをよく知らなかった。その意味や背景を考えなかった。私と遠いところにあると思ったから。でもその2ヶ月後、8月6日に電車の中で女子大生が刺されたとき、私はそれを近いところで起こった暴力だと思った。
 セックスワーカーたちが給付金をめぐる国からの差別に声を上げたとき、#ラブホで死にたくない と集まったとき、私はなにもしなかった。ホテルで殺された彼女も、生きているセックスワーカーたちも「私」の延長線上にいないと思っていた。でも小田急線刺傷事件が起こったとき、私は行動した。「彼女は私だったかもしれない」と感じた。
 私は切り分けていた。「私」であり得た彼女と、「私」の外側の遠いところにいる彼女たちに。

 だからだろう。中学からの約10年来の友達が、つい最近になって「あたし何年か前、セックスワークしてたよ」と私に言ったのは。「人に気軽に言って理解される仕事じゃないから、自分からは言わないけど」と言った。10年間の私を知っている彼女にとって、今までの私は“話したら大丈夫じゃないかもしれない相手”だった。

 これはいつも「聞く者の問題」だ。話しても安全でないと感じるから話さない。話したら自分が不利になる可能性があるから沈黙する。それは話さない人ではなく、聞く用意のない人の問題だ。友達が私に話さなかったのは、セックスワーカーを他者化していた私には、聞く用意がなかったからだ。
 そして話すことを選んだ人の声を拾えないとしたら、それも聞く者の問題だ。セックスワーカーへの差別や暴力が遠いことだと感じていたのは、私に聞く力がなかったからだ。
 私はもうそんな自分でありたくない。声を聞く「土壌」をいつも持っていたい。

今回は、タバブックスの新レーベルgasi editorial発行『反「女性差別カルチャー」読本』の、「性差別のない文化の夢を見る」(松永典子さん)を読んで、「聞く者の問題」、「言葉を受け止める『土壌』」ということばから連想したものを書いた。

(げじま)

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