見出し画像

私の話 3

 小田急線事件は初めてのフェミサイド事件ではなかった。調べていくうちに、同じような性質の事件がすでに何件も起こっていたことに気がついた。

 小田急線事件からつい2ヶ月前の6月1日、立川のホテルでセックスワーカーの女性が少年に約70カ所刺されて殺されていた。少年は「女性と無理心中する様子を撮影しようと思っていた」、「風俗業をやっている人間はいなくていい」と供述していたという。女性であることと、セックスワーカーであることを理由に女性が殺された事件だった。

 2020年の11月には渋谷区幡ヶ谷のバス停前で野宿者の女性が、男性に石を詰めたペットボトルで殴られて殺されていた。男は「お金を渡すからバス停から移動してほしい」と言っても聞き入れなかった女性に腹を立て、「痛い思いをさせればいなくなると思った」と語った。自分の思いどおりにならない女は痛めつけていい。これもミソジニーを背景としたフェミサイドで、かつ野宿者に対する差別から生まれたヘイトクライムだった。

 2020年の8月、福岡県の商業施設で女性が、女子トイレに入ってきた少年に15ヶ所刺されて殺されていた。2019年の7月、福岡県粕屋町で女性が、過去に性犯罪事件を3度起こし服役していた男に首を絞めて殺されていた。2019年の4月、沖縄県中頭郡北谷町で女性が、ストーカーと性暴力の加害者でもあった元パートナーの米兵の男に殺されていた。2018年の6月、東海道新幹線で東方神起のライブ帰りの乗客の女性2人が男に殺意を持って鉈で切りつけられ、重傷を負っていた。

 少し調べただけでも、数年の間に女性が性別を理由に殺された/殺されかけたと見られる事件がこれだけ見つかった。でもこうして共通点を見て調べるまで、こんなに起きていたことを私は知らなかった。だからこれら複数の事件を「フェミサイド」と呼びなおす必要があると思った。ただの「殺人」という名前ではバラバラに見えてしまうものを、ジェンダーに基づく殺人という共通点で結びつけ、「フェミサイド」という名前で集合化すること。それがまず私のやるべきことだった。

 名前をつけ直し、物事の認識のしかたを変えるのは、女性たちがこれまでもやってきたことだ。

 たとえば日本で「セクハラ」という言葉が広まったのは、1989年の日本初のセクハラ裁判がきっかけだという。原告の晴野まゆみさんは、有能な彼女に逆恨みした男性上司に職場で性的なうわさを流されて退職させられたことに対し、それは「セクシュアル・ハラスメント」であり、不当な差別だと訴えた。彼女のもとには、同じような経験をしたという全国の女性たちの声が寄せられ、「職場での性的いやがらせと闘う裁判を支援する会」が結成された。彼女たちが声を上げたことで、それまで名前のなかった嫌がらせが「セクシュアル・ハラスメント」として集合化され、ジェンダーに基づく差別だと認識されるようになった。もし彼女たちが立ち上がっていなかったら、「セクハラ」という言葉が広まることはなかったかもしれないし、性的な嫌がらせは「取るに足らない日常的な不快な出来事」としてしか認識されていなかったかもしれない。もし「セクハラ」という言葉がなければ、「そんなものはない」ことにされていたかもしれない。だからこそ、すでに存在するものの名前を「セクハラ」という言葉で言い直し、それは嫌がらせであり差別だと表現したことに意味があったのだと思う。

 1990年代に使われるようになった「DV」という言葉も同じだ。「DV」という言葉が登場するまで、それに当たるものは「夫婦げんか」や「痴話喧嘩」などと呼ばれ、法律が踏み込めない私的な領域の、ささいな問題として認識されていたのだろう。それを女性研究者と女性国会議員たちが「DV」と呼びなおし、女性に対する暴力として認識を変えた。その成果が2001年のDV防止法成立だろう。彼女たちはすでに家庭内にずっと存在していた暴力を、「DV」という言葉で呼ぶことによって問題を可視化させた。「DV」という言葉を使うことで初めて、「DV」の被害は「ある」と言うことができるのだ。

 そして「痴漢は犯罪です」というキャッチコピーも同じだ。「痴漢は犯罪です」という言葉は、最初から街中にあった言葉ではなく、女性たちがみずから獲得したものだ。それ以前は「痴漢は犯罪です」と言うことができなかった。鉄道会社や交通局はずっと、「男性乗客を不快にさせないように」と、「痴漢もお客様だから」と、「小暴力」や「迷惑行為」という言葉しか使わなかった。「痴漢」という言葉はタブーだった。1988年、大阪の地下鉄御堂筋線で痴漢行為を注意した女性が、痴漢加害者の2人に強姦される事件が起きた。そんな事件の後でさえ、かれらは「痴漢は犯罪です」と言わなかった。この事件に憤った女性たちは「ストップ・ザ・レイプ」集会を開き、「性暴力を許さない女の会」を発足させ、「痴漢は犯罪だ」というポスターを貼るなど、対策を鉄道会社に求めた。彼女たちが何年間も根強く活動を続けた結果、1994年、鉄道警察隊からポスター制作のアドバイスを求める声がかかり、その年に初めて「痴漢は犯罪です」という言葉が使われたという。これも、女性たちが痴漢は小さな暴力でも単なる迷惑でもなく、「犯罪」だという言い直しを行ない、被害を訴えた成果だ。

 私はそうやって言葉で認識を転換させてきた女性たちのように、女性が性別を理由に殺されることを「フェミサイド」と呼び直さなければならない。単なる「殺人」とされてきたものに「フェミサイド」というラベルを貼り直し、振り分け直し、「フェミサイドは、ある」と言わなければならない。


お読みいただきありがとうございます。サポートいただけましたら、記事制作やライターさんへのお礼に使わせていただきます!