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「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」プロローグ黎明編その3〜山中カメラの誕生〜

皆様こんにちは。
現代音頭作曲家の山中カメラです。

さて本日も、面白いのかどうなのか、そして自分の過去の作品を見て顔の赤さがなかなか引かないでお馴染みの昨日の続きです。

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シリーズ「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」
プロローグ黎明編その3〜山中カメラの誕生〜

結局、短大に2年、その後も同じ学校の専攻科に1年在籍し、卒業。
1999年に何のあてもなく上京。アルバイトをしながら表現を模索する日々が始まる。
当時は「写真作家になれればいいな」とぼんやり思っていた。

東京に出てきたはいいのだが、何をすればいいのかさっぱりわからなかった。
ひたすらアルバイト漬けの日々が続いた。
そんな時、東中野で写真と映画のワークショップ「image box 東中野」というゼミが開講されていることを知り、とにかく通ってみることにした。
写真のゼミは、写真評論家の飯沢耕太郎さん、鳥原学さんなどが講師をつとめており、東京の作家志望の若者が多く集まっていた。毎回受講生が自分の写真作品をプレゼンし、講師やゲスト講師、受講生がその作品について批評するといった趣旨だった。私の作品(プロローグ2で紹介したような)はかなり場違いなものだったが、ここで出会った同年代の作家達にはとても影響を受け、大変刺激になった。

ここで写真の勉強をしつつ、分かったことは
「自分には世の中に評価されている写真作品の良さが分からない」
ということだった。
もちろん好きな写真作品や、尊敬する写真作家は沢山いるのだが、自分にとってリアルではない(価値判断が世間と違う)世界で評価されることは無理だとそのときは思ったのだ。
じゃあもう自分の面白いと思うこと、信じる道をひたすら行くしか無いと強く思うようになった。
カメラというツールは使うが、いわゆる写真というメディアに拘らず、動画にしたり、音楽と合わせたり(ここで音大でかじった作曲が役に立った)、自分の面白いと信じる表現をひたすら追求した。
自分が新しいジャンルになれば良いのだと思っていた。

この頃から「ヤマナカカメラ」とまわりから呼ばれるようになり、自らの芸名を「山中カメラ」としたのであった。

その時に生まれた、写真(?)作品の一部を見ていただこう。

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「シャシンのウラ、オモテ」(本来は写真を両面張り合わせ、天井から吊るして展示)
普通の写真作品は片面のみであるが、写真の裏側を撮影したくてカメラのこちら側とあちら側(向かい合ったカメラの間に自分が立っており、レリーズで同時にシャッターを切っている)を切り取った作品群。


「おっぱいカメラシステム O.C.S 〜恥部写〜」
「写真におけるシャッターチャンスとは何か?」を真剣に、そうれはもう真剣に考え、写真装置自体を開発してしまった作品。完璧な"決定的瞬間"が撮影出来る。
※余談だが、この作品を発表した際、展覧会情報を実家の母親が偶然目にし、「恥部写とは何ですか?あなたは東京で何をしているのですか?お母さんは恥ずかしくてたまりません」という内容の長文の手紙が送られて来て、いつかは親孝行しなければと思った。


「カメラ獅子」
もはやカメラで写真を撮らない!カメラを獅子頭にして獅子舞を舞う!
プロローグ2の「裏写真部」で培ったパフォーマンスの要素が強く出ている。


「モーニングリポート」
これはもうなんだかよくわからない。

この辺までは展示目的の写真、映像作品だが、だんだんと自分自身がステージに立ち、「カメラショー」というライブ形式に発展を遂げる。
それはまた次回「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?プロローグ黎明編4~カメラ寿司の誕生~」に続く。
(なかなか音頭が始まらない)

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私の作品集が近日発売になります。よろしくお願いいたします。

2/27発売!豪華付録付CDブック仕様!
「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」(タバブックス)


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