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私の話 4

 小田急線刺傷事件から約1週間後の8月14日、私は石川優実さんと菱山南帆子さんが主催してくれた「#小田急フェミサイドに抗議します」デモに行った。私は切実だった。その切実さは、私に初めてのデモでマイクを取らせた。私は泣きながら話した。聞いている人たちも切実だった。

 その年の11月、デモの時に知り合ったNHKの記者さんが書いた「声を上げた私が悪いのか ~止むことのないネット上での中傷~」という記事が上がった。デモの時に話している私の写真がサムネイル画像に使われた。
 記事では、フェミサイドに抗議する声を上げた私たちに対して、否定的なコメントを書き込んだ人を取材していた。取材されていたのは「30代の男性」で、「妻と子どもと生活している」、「勤務先を聞くと誰もが知っている有名なところ」に勤めている人だった。彼は私たちに対して「迷惑だからやめろ」という内容の書き込みを2回行なったという。記事によると、彼の言い分はこうだ。

「書いてある内容に違和感があってやっただけのことです。私は、事件について言うべきことがあれば犯人に言うべきであって、事件への抗議は一般大衆に向けて言うべきことではないと思ったので。こうした活動をやっている人たちは、ちょっと的がずれているのではないかなと思いましたね」

「そんな抗議なんかされたって我々なんてどうすることもできないだろうし、『女性だから被害に遭った』とかそういう主張をされても、何を言っているのかなと。だったら犯人に言うべきことであって、デモなんかするのはお門違いだろうと」

 彼は「違和感があってやった」らしい。でも違和感を持ったなら、なぜ私たちに尋ねなかったのだろう?「どうして犯人ではなく一般大衆に向けて抗議するのですか?」と、「どうしてデモをするのですか?」と。
 私たちには、犯人という個人ではなく社会に対して抗議する理由があった。

 私たちは、性別を理由に女性が殺害されるフェミサイドの前段階に、性別を理由に女性が日常的に遭う暴力があると考えている。この社会には、女性だけを狙って体当たりしたり、痴漢や盗撮をしたり、道路で付きまとったり、勝手に身体を触ったりするという暴力が存在する。実際、これを書いている数日前に、私は駅でAirDrop痴漢に遭った。また、女友達に痴漢などを受けたことがあるか聞いてみると、「人生で一度もない」という人はいないくらい、必ずといっていいほど何らかの被害を受けている。そのくらい身近に被害があるなかで、そうした暴力の延長線上に「女だから殺される」ということがあってもおかしくないと考えるのは当然だろう。
 そしてそのような暴力を行なったり、許容したりするのは、加害者本人だけでないことを私たちは知っている。「女性だから」遭う被害の背景には、女性をモノ化したり、軽視したり、被害者叩きをしたり、被害を矮小化したりする社会がある。社会に存在する女性差別が、女性に対する暴力を許している。そのことを知っているからこそ、私たちは犯人という個人ではなく社会に対して抗議のデモをした。

 書き込んだ彼が「犯人に言うべき」だと語ったのは、犯人と自分を切り離したいという思いからだろう。自分はフェミサイドを起こすような「異常な」人間とは違うのだから、自分を含む一般大衆に抗議されて心外だ、という考え方だったのかもしれない。
 また彼は「女性だから被害に遭った』とかそういう主張をされても、何を言っているのか」と思ったそうだ。私はその文を読んだ時、驚いた。「女性だから被害に遭う」ということが、この人には本当にわからないんだとびっくりした。きっと彼は、自分の性別のせいで危害を加えられるという経験をしたことが全くないんだろう。「男だから」という理由で、私のように勝手に身体を触られたり、変に声をかけられたり、画像を送られたりしたことが全くなくて、だから本当に想像できないんだろう。それくらい見えているものがかけ離れているんだと思う。違う世界を生きているみたいに。

 そういえば、エレベーターで警戒して同乗しなかった女性を怖がらせようとしたことを「ネタ」として話した男性芸人がいた。暗い道を歩いていて手前で立ち止まった女性に「僕、怪しい者じゃありませんよ」「僕を避けようとして、立ち止まりましたよね」「そういう人を疑う態度はいかがかと思うよ」と言った男もいた。彼らには女性たちがなぜそうするのか、想像できないんだろう。その相手に実際の被害経験があるかもしれないと思い至らないんだろう。だから「自分が警戒された」ことに対して腹を立てたりできるんだろう。彼らにとっては、疑われた自分の不快感の方が大切で、だから「自分はそんな人間じゃないのに心外だ」というお気持ちを女性にぶつけてくるんだろう。
 
 書き込みをした彼は、「抗議なんかされたって我々なんてどうすることもできないだろう」と語っている。実はそんな彼にもできることはあった。まさに今書いたように、彼に想像できなかった私たちの現実があるということを知ることが、彼のような人にできることだった。なぜ私たちが抗議しているのかを尋ね、彼のポジションからは見えない「女性だから被害に遭う」という現実を見つめることが、彼にはできることのはずだった。でも彼はそうしなかった。

「そんなに強い気持ちではなくて、目にとまってくれればいいなというくらいの気持ちで書き込んだだけなんです。ほかにも批判的なことを書き込んでいる人がいたので、私も追従してというか、賛同してということですね」

 彼は他の人に便乗して、私たちに「迷惑」のレッテルを貼り、自分は考えることを放棄した。「俺に言わないでよ」「犯人と一緒にしないでよ」という拗ねた気持ちから、わざと目にとまるように私たちに石を投げた。彼はそれで満足したのだろうか。

 そんな出来事から、今月でもう1年になる。私たちは明日、またしぶとく集まってデモをやる。フェミサイドを忘れないように、なかったことにされないように、許さないように。フェミサイドを生む「社会」に対して抗議するために。


 この連載『私の話』では、小田急線刺傷事件が起こった2021年8月6日から、フェミサイドに抗議してポストイットを貼り、デモに行ったところまでを書きました。その後、私はオンラインで署名キャンペーンを立ち上げ、記者会見を開き、集まった約1万7千筆の署名を内閣府男女共同参画局に提出することになります。フェミサイドに反対したこれらの行動の記録を残すために、一冊のZINEを作りました。


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