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タバブックスの本棚から11─地雷

地雷ワードがある。
「個性」だ。大多数とは違う人の特性を指していう「個性」。マイノリティに対してマジョリティが使う「個性」。例えば、同性と恋愛するのは個性だとか、割り当てられた性別とアイデンティティが異なるのは個性だとか言うときの「個性」。

なかでも特に地雷なのは、少数派に“配慮”して使われる「個性を尊重しましょう」という言葉だ。
“みんな違ってみんないいのだから、「個性」を認めてあげましょう。でもその「個性」があることであなたが差別を受けていても、私たちは何もしませんよ。だってあなたの「個性」だから。”
という、条件つきの「個性を尊重しましょう」。

一見聞こえはいいけれど、マイノリティの性質を「個性」という言葉で個人化・個別化し、かれらが被る集団的で構造的な差別には見向きもしなさそうなところが、うわ、と思う。

そして、そうやって少数派の個性を「尊重してあげる」「認めてあげる」立場にいると思っている多数派の自分たちには、個性が“ない”かのように振る舞うところも、うわ、だ。

実際、多数派の人はたいてい「ヘテロセクシュアル」や「シスジェンダー」ということばを知らない。多数派は多数派であるがゆえに、自分が何者であるかを自覚せずとも、自分の特性を表す言葉を知らずとも生きていける。
また多数派の人は、自分が何者であるかを、自分とは違う人に説明する必要に迫られずに生きていける。かれらは異性愛者であることや、生まれついた性と自認が同じであることをカミングアウトしようとは考えない。

かれら自身の「個性」が“ない”ことになったまま、「個性を尊重しましょう」というメッセージを発されたところで、中身がなさすぎてどうしようもない。

「個性」という言葉を使おうとするならば、マイノリティに対してのみ「個性」と言うをやめなければならない。異性を愛することや、出生時の性別と性自認が同じであることは、当然の一般的な性質ではない。マジョリティは”無”個性なのではなく、「ヘテロセクシュアル」や「シスジェンダー」という個性が”ある”のだと理解するところから始める必要がある。そして多数派の特性を持っていたことで占めていた、自らの特権的なポジションを自覚しなければならない。

話はそこからだろう。


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今年10周年を迎えるタバブックスが半年に一度刊行している雑誌『仕事文脈』。今回は最新刊vol.20の「男には簡単な仕事 第3回 体育会系なノリに馴染めないこっちだって男なのに」(ニイマリコさん)に出てくる「地雷」から、今回は私の最近の地雷ワードについて考えた。なお「個性(を尊重する)」という言葉は、とある企業が今月のPride Month用に作ったサイトの文章で多用していて、うんざりしたので書いた。

(げじま)

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