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損なわれたくない/牟田都子(仕事文脈ol.17)

大袈裟な言葉を使うと、実態との間に隙間ができるのです。そこにヒューヒュー風が吹き荒んで、虚しさを掻き立てる。言葉が、張り子の虎のように内実のないものになってしまう。だから、効果がないばかりか、じつに逆効果なのです。マイナスです。言ってみれば、言葉を殺しているような状況です。(…)今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言霊の力を繰り返し、削いできたことだと思っています。
(梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』岩波書店、pp.15-16)

 校正は言葉を扱う仕事だ。だから言葉を使うことにも熟練しているはずだと、この仕事を始めたときには思っていた。ところが十年経ってみると、慣れるどころか、より慎重になったというほうが実感に近い。
 仕事相手にメールを書こうとする。どう書き出すか迷う。「おはようございます」と書いても朝のうちに読まれるとは限らない。「お世話になっております」は長年協働しているならともかく、知り合って間もない相手にはためらわれる。かといって「こんにちは」ではカジュアルすぎるだろうか……などと考え始めると、たった一通のメールさえなかなか書けない。
 たかが挨拶かもしれないが、そうは思いたくないのだ。言葉を扱う仕事をしているからこそ、言葉を粗末にしたくない、一語たりとも空費したくないという思いが年々強くなっている。
 言葉には手でふれられる形もなければ、測ることのできる量もない。だからいくら乱暴に扱ったところで傷つきも壊れもしないし、減ったりなくなったりすることもないはずだ。でも、そう感じられることがある。
 今年に入って安倍晋三総理大臣(当時)の会見を見るたびに、石の表面が風雨に削り取られるように、あるいは湖の水位が少しずつ下がっていくように、なにかが損なわれていくと感じずにはいられなかった。

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