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【連載】虹色眼鏡 チサ/さようならアーティスト「疲れて眠る」(仕事文脈vol.22)

 「はい、それでは予約の変更を承りました。また名簿の方を……」フロントの受付の女性の声が途中で途切れ、 私は「よろしくお願いいたします。失礼します。」をいう機会を失ったまま、電話が切れた。大阪のインターチェンジから広島に向かう山陽高速道路で、通り過ぎる山々に弱小キャリアの電波は、反射して通信の役割を放棄してしまう。1日3ギガ以上通信をすると低速になるし、地下では連絡も取れないし、インターネット共有の不具合も多い。安いんだか高いんだかよくわからないが使い勝手の悪いキャリアにこういう時飽き飽きする。月々の使用料と携帯の料金がメールに通知されることもないし、一体月々どれくらいこの間に見えないものにお金を払っているのかわかっていない。私は終わりの挨拶が言えなかったから、なんだか宙ぶらりんの気持ちで花粉の積もった窓ガラスから外を見る。山々には満開の桜が咲いている。また春がやってきた。私はまた会社を辞めた。

 考え事をしているとどんどん足元に視線が落ちていく。あぁ、また私下を向いている、と気がついては水平線よりも上に顔を上げてみるようにする。足元ばかり見ていると悲しい気持ちになる。海を渡ると決めてからアテもなく会社を辞めた。金銭を貯めるためにはなんでもしようと思っていた。野糞でもひろってお金になるなら裸にだってなる覚悟で、エイヤと人生の選択をした。選択はいつでも疲れる。勇気がいる。

仕事を辞めてからは目まぐるしい日々だった。
(ありがたいことに裸になる必要もなかった。)

 日々忙しくしていると、忘れてはいけないことを忘れてしまったような気持ちになる。自分が忘れてしまった物事が何だったのかよく思い出せない。生きていくことが重要になると、大きな物事ばかりが大事になって、小さな物事をあまり大事にはできなくなるのが、本当に自分の求めていたことだったのか今はまだよくわからない。

 会社を辞めるたびに人生は思ってもいない方向に進んでいく。ずっとハンドルしていないと水の流れが強すぎて、どこか知らない場所に着いてしまいそうで怖い。流れに乗ってスイスイと大きな海にでるところをグッとおさえて今しなければいけないことを見極めなければいけない。

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