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座談会「東京生まれ・東京育ち」のモヤモヤ・前半(仕事文脈vol.16)

地方出身者にはまぶしく見えがちな「東京生まれ・東京育ち」。しかし、最近は若い世代が「上京」に対して夢を抱かなくなったと聞くし、東京出身者当人も、自身の生活環境にモヤモヤしがちだとか。東京の西側で生まれ育った3人が考える、日本の真ん中で生きるメリット、デメリット、憂鬱、諦念——そこから見えてくる、日本の今とこれから。(聞き手・構成:辻本力)

地方出身の方がイケてる?

——まずは、お三方の生まれた年と地域を伺えますか。

前みづえ(以下、前) 私は1977年生まれ、フリーで出版営業とヨガ講師の仕事をしています。国分寺市生まれで、今も実家に住んでいます。引っ越し経験もゼロ。父方の祖父母も同じ市内に住んでいたので、夏休みに田舎に帰るみたいなイベントもありませんでした。ちなみに、その祖父母は北海道と新潟出身で、戦後に上京して国分寺に住み始めたそうです。 

竹花帯子(以下、竹花) 私は1978年生まれの、世田谷区下北沢育ちです。フリーのライター・編集者をしています。うちは父が北海道札幌、母が高知県出身です。

宮川真紀(以下、宮川) 私は1962年生まれです。この雑誌の発行人です。竹花さんと同じで、親の代から東京組です。父が福井県、母が秋田県出身で、戦後上京して職場結婚。練馬に家を建てて、両親は今もそこに住んでいます。私は今は自宅も仕事場も世田谷区内です。

竹花 私は東京育ちですが、生まれたのが母の郷里の高知県だったので、大学生くらいまで高知出身と言い張っていました(笑)。なんとなく東京出身と言うことに抵抗があったみたいです。地方出身と言ったほうがイケてるんじゃないか、なんて思ってて。自分の田舎があることに憧れていましたね。

——ずっと下北沢ですか?

竹花 杉並区や文京区に住んでいたこともあったんですが、出産を機に下北沢の近くに戻りました。親が近くにいるほうが子育てに便利かな、って。

宮川 実は、私も文京区で一度一人暮らししてたんですよ。山手線の内側に住むのに憧れて、千石ってところに。

竹花 え! 私も千石に住んでいました。

宮川 奇遇。当時は、東京といっても場所によって全然違うことに驚きました、治安とか。練馬の実家が一軒家で、家にいるとき鍵をかける習慣もないような家だったので、ギャップがすごくて。一度知らない人にあとをつけられたことがあって、あとでドアのポストを見たらエロ写真が入ってて……都会怖っ!って思いました。

竹花 私は文京区って山手の敷居が高いイメージがあったんです。でも実際に住んでいたのは印刷工場が連なっているようなところにある古いアパートで、下町感が残ってたんです。その坂の上に高級マンションが建っていて、象徴的だなって思ってました(笑)。住んでいる間にも新しいマンションがたくさん建って、かなり印象が変わりましたね。

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