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金がものを言う世界で、教員のことばはどこまでも沈み込んでいく/トミヤマユキコ(仕事文脈vol.17)

 山形にある美大で仕事をはじめたのは、去年の春のことだった。助手や非常勤講師としてのキャリアはそれなりに長いが、専任講師として働くのはこれが初めて。予想はしていたものの、業務の多さと責任の重さが段違いである。しかもわたしは「通い」を選択したので、東京と山形を毎週往復するのである。気力、体力、どっちもないと務まらない。誇張でなくひーひー言いながら働くことになった。


 そんな生活にもやっと慣れてきたかな、というタイミングで、新型コロナウィルスが上陸。前期の授業は全てリモートでやることになった。事前に収録したものをアップロードするオンデマンド型を推奨する大学もあったようだが、うちの大学はリアルタイム配信でやれと言う。わたしは時折ラジオ番組に出演する人間なので、生放送番組っぽくやればいいのかな? と思いリモート用の授業を準備しはじめた。と言っても、資料は事前にデータで配信し、授業ではひたすら喋り、授業終了時にGoogleフォームに感想やコメントを投稿してもらって出欠確認をする、という単純なもの。パワポを作って動画を埋め込んだり、YouTubeを活用したり、といったビジュアル重視の教材を作る先生にくらべると、かなりお気楽な授業設計である。そうした設計のお陰もあり、大きなストレスもトラブルもなく前期を終え、いまは後期の授業をやっている。
 しかしこの間、リモートは対面と比べると「劣る」なんて言い方をされるようになった。大臣もそう言ってるし、学生や保護者にもそう言うひとが一定数いる。しかし、本当にそうだろうか。個人的にはめちゃくちゃ手応えを感じているのだが……。

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