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『夢を描く女性たち』編集エピソード 「女性を揺り起こすハンマーの一撃」/竹花帯子

はじめに「偉人伝」と聞いたとき、実は違和感があった。私の思い描く「偉人伝」は、来る日も来る日も血の滲むような努力をして成功を勝ち取った人たちのマッチョなストーリーだったから。日本追補版で取りあげる人物の名前を聞いて、かれらのストーリーははたして「偉人伝」と呼んでいいものだろうかと迷ったのだ。

私が子どもの頃、児童向けの伝記シリーズに取り上げられる女性はフローレンス・ナイチンゲールとヘレン・ケラー、そしてキュリー夫人が定番だった。私も鼻をほじりながら読んだ思い出がある。そこで描かれるのは立派な女性が努力して男を助けたり、男並みに成功するストーリーだった。だいたいキュリー「夫人」ってなんだ。マリ・キュリーでいいじゃねーか。日本の女性に至っては卑弥呼ぐらいしかなかったんじゃないか。卑弥呼の物語はそれはそれで面白かった記憶もあるが、そんな謎めいた存在のストーリーしかなかったのかと思うと今さらながら唖然としてしまう(今は津田梅子や与謝野晶子もあるらしい。いずれ読んでみたい)。いずれにしろ偉そうで説教くさい「偉人伝」にはなんとなくいやぁな感じがしていた。

ところが『夢を描く女性たち』の女性たちはちっとも偉そうにしていない。ひとりで、あるいは仲間とともに立ち上がる女性たちの目には、はっきりと夢が描かれている。韓国の人物についてはほとんど知らなかったが、かれらがどんな夢を描いて、どんな闘いをしてきたのかが、ぱっと見でも読み込めるのだ。とりわけ目を引いたのが海女・独立運動家のブ・チュンファ。先の尖った道具を振り上げた海女たちが並んでいて、あえてどの人物がブ・チュンファかわからないように描かれている。その顔には強い怒りが浮かんでいた(かれらが誰に対して、なぜ怒っているのか、私たちは知らなければならない)。私の知っている「偉人伝」の表現とはだいぶ違うものだ。

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グラフィックデザイナー、キム・ヒエさんによるブ・チュンファのイラスト
(『夢を描く女性たち イラスト偉人伝』著 ボムアラム 訳 尹怡景)

ナイチンゲールはランプの代わりにある物(ぜひ本を買って確かめてください)を持ってかまえているし、ヘレン・ケラーは三重苦を乗り越えるストーリーで終わっていない。そうか、これは闘う女性たちのストーリーを奪還する本なのだとはっとした。女性が自分のために生きるストーリーだし、ヒストリーだ。女性が自分の夢のために生きることはそれだけで闘いなのだと、このあたらしい偉人伝は伝えてくれる。

日本語追補版で加わった人物は以下の六人。
山川菊栄
石牟礼道子
田中美津
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
ジャシンダ・アーダーン
グレタ・トゥーンベリ

限られた字数でひとりの人間の人生を語り切ることは難しい。調べれば調べるほどかれらの人生は複雑で、厚みのあるものとして立ち上がってくる。どの人も自分の努力や与えられた環境、力だけで何かを成し遂げたわけではない。時に間違い、時に矛盾し、紆余曲折する。たったひとりの正しい行いのためではなく、互いに影響しあって、すこしづつ世界は変わってきたのだ。

山川菊栄はただ明晰で優秀だったわけではなく、進歩的な母や、姉兄、友人との関わりの中で思想を磨き、伊藤野枝や与謝野晶子、平塚らいてうらと激しい論争を重ねながら、ともに考えを進めていった。石牟礼道子は小説家・詩人として特別な才能を持っていただけではなく、水俣病患者とともに黒い「怨旗」を持ち、東京のチッソ本社前の路上で座り込みをし、その人たちになり代わるように物語を書きつけた。田中美津は女性の解放のためにウーマン・リブを始めたわけじゃない。自分を縛るものから解放されるために、仲間たちと一緒に語り、歩き、歌い、踊り、暮らす姿が大勢の女性たちに火をつけたのだ。アディーチェはイボ民族の、アフリカ人の、女性の大きな歴史を、小さな複数の物語として描き、友だちへ語りかけるようにフェミニズムのメッセージを伝える。アーダーンが新しい時代のリーダーとして数々の危機の最中で力を発揮する隣には、子どもを抱くパートーナーの存在がある。グレタがアメリカ大統領にまでバッシングされても怒りを剥き出しにして運動を続けるのは、地球のためではなく自分たちの未来のためだ。この本で取り上げられた女性たちには、そうせざるを得ない切実な思いが通底している。

かれらが努力することも含めて、特別な能力や素晴らしい環境に恵まれていたのだとしても、「偉人」である理由はもっと別のところにある。『夢を描く女性たち』のイラストを見ていると、かれらの隣にはかならず無数の声があり、その声を掬い上げ、世界に差し出しているように見えるのだ。それを連帯と呼ぶのだろう。女性の偉人伝はそうしたストーリーであったのだ。かれらは前を歩く人、後ろにつづく人たちにつらなっていることを知っている。そうして歩きはじめた人こそが、私たちの偉人だ。かれらの眼差しは、夢を描くことの強さを教えてくれる。

世の中は私たちに「夢を描くな。夢を描くことほどバカバカしく愚かなことはない」とメッセージを送り続けているが、それはつまり、世の中を管理する側からしたら私たちが夢を描くこと自体が脅威だからだろう。変えたくないからだ。いつまでも眠っていてほしいのだろう。この本がそんな願いを打ち砕き、眠っている女性を揺り起こすハンマーの一撃となりますように。

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竹花帯子(たけはな・おびこ)
東京生まれ。ライター、編集者。「エトセトラ」編集スタッフ。


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