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小説 セクシー・前編/兼桝綾 (仕事文脈vol.13)

 「浅羽さんは、男っぽい女じゃん。それって結構セクシーなんだよね。一方、松永は、『男』だから、そこには決定的な違いがあるよね」そう言って、先輩Aが手酌しようとしたその手を、浅羽がとらえて、自分の手を添えて酌した。先輩Aは酌をしてもらったことよりも浅羽の手が自分の手に重なっていることに対し、悪い気はしないと笑った。卓には松永と浅羽と先輩Aの他、B社の新人という、背の低い女子社員が座っていた。小さな顔に行儀良く目鼻が並んでいるのを見ると、いかにも『女子』社員という感じだった。新人はサラダや鍋が卓に運ばれてくると隣りの松永にも伝わるほど緊張していたが、その度に浅羽が「OLなんで、やっちゃいますね」と茶化しながら取り分けた。松永はすみませんと一応は言うものの手伝うでもなく、取り分けられたしらたきをすすり、「松永、取分けないねえ~」と先輩Aに言われながら、座っているのだった。そのうちに先輩Aは別卓の上司に呼ばれて席を外し、外した途端、浅羽はおしんこの皿を自分の前に寄せて、無言で食べ始めた。「私達ここに固まってて、サボりすぎですかね」松永が言うと、浅羽は箸をなめながら、「もうそういうターンじゃないでしょ」と言ったので、松永もくつろいだ気持ちで自分の箸を鍋に入れて好きなものだけをとった。その時B社の新人が、ほとんどはじめて口を開いて、「すみません、今は何のターンですか」と聞いた。松永は新人が何を言っているか分からずひるんだが、浅羽がてきぱきと説明した。
「女三人しかいないじゃん? だから最初はばらけて出来るだけ女が各卓にいるようにしたじゃん? でももうオジサン達は男達だけで遊ぼうぜ! みたいなモードになっているので、私達が固まっていても平気、ってこと」
分かりよい説明に松永は、言語化されると馬鹿馬鹿しいな、と思った。そしてこんな馬鹿馬鹿しいことを松永に言わせないでいてくれる浅羽に感謝した。誰かが一応『新人』に、説明しなければならないことなのだ、でも新人って、ここまで言わないと分からないんだっけ、二十歳すぎているなら、それくらいは『仕上がって』もしくは『鍛えられて』いてほしいと、自らが新人と呼ばれていた、たかだか数年前のことも思いだせないまま、松永は思うのだった。
名前なんだっけ、と浅羽が尋ねて、キンカですと新人は答えた。年に一度の、先のないとされる業界でのお互いにとって唯一の競合であり協力会社、A社とB社の親睦を目的とした合同社員旅行なのだった。キンカと言う名に覚えがある気がして、松永はあらためて新人をじろじろと見ると、なんだか恰好が野暮ったい、というか、中途半端な気がした。浴衣の下から肌着が見えており、浴衣なのに靴下をはいている。温泉の後に、宿の『サービス』で女性のみに用意された浴衣、着る必要はないのだが、浅羽は「まあ、縁起物だから」とよく分からないことを言い、衿をぬいてくるぶしを見せて着ており、男性社員達の喝采をあつめたが、松永は普段着のまま、というか殆ど部屋着にちかいパーカーに民族衣装のような麻の巻きスカートである。それを受けてA先輩の、お前は本当に男、と冒頭の台詞に返るのであるが、多様性が必要である、と松永は主張する。しかし女二人では多様性をつくりあげることに無理がある。そして三人目の女の格好の曖昧さもまた多様性のはずなのに、松永はなにか釈然としないのである。
「松永もさあ、ゴルフやったほうがいいよ、おじさんの攻略にはゴルフよ」
 浅羽の声がする。話を聞いていなかったので、生返事をするが、「絶対やる気ないな、お前」と完全にばれている。

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