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noteを始めた理由。

学生の頃はなんとなく物書きになりたいと思っていた。

新聞記者、小説家、雑誌のライター、ジャンル問わず物書きってかっこいいなと思っていた。

時々小説もどきの物を書いたりはしてはいたけれど、完成することはめったになかった。
ああ自分には文章を書く才能がないなと自覚し、そんな夢もいつのまにか諦めた。

諦めたというより代替が見つかったのかもしれない。
Twitterだ。
Twitterでちょろっとした文章を書く、ネタツイをする、それが「いいね」される。
それで自分の「物書きになりたい」という欲求がなんとなく満たされていったのだろうと思う。

以前に使用していたアカウントはフォロワー600以上。
上を見ればもっとフォロワーが多いアカウントはいくらでも見つかるが、600フォロワーもいればツイートに誰かしら何かの反応をしてくれる場合が多い。
結構満たされた。

Twitterでそんな環境を作り上げたのになぜ今更noteなど始めたのか。


結論からいうと、一人にメッセージを伝えたいからという事以外ない。

今後の人生でもう絶対に関わる事がない相手だ。
自分はもう絶対に関わりたくない。

けれども伝えたいことがある、だから読むかも分からないこんな記事を書いている。

自分はそれなりに生きづらさを抱えて生きてきたつもりだ。
基本的に人生詰まらないな、辛いことが多いなと思ってきた。
けれどもあるきっかけを通してその生きづらさが消えてきた、いい方向に向いてきた。

振り返るとずっとメンタルに不調を抱えていた。
そしてそれはメンタル系の病気の「症状」だった。
風邪をひいたら熱という「症状」が出る、同じ事でメンタルが病気になるとこころが辛いという「症状」が出る。
こころがつらいのは周りの環境や自分の所為ではない、「病気の症状」なのだ。

ずっとこころの中を不快感や不安感、怒り、苛立ち、そういった物が大半を占めてしまっていた。
他人を許せない、他人を認められない、他人が怖い、自分を認めてほしい、自分に優しくしてほしい、得たいものが得られない、満たされない。
ずっとこころが荒れていた。

けれど自分の性格や特性ではなくて、「病気の症状」なのだと認識した。
これは、この不快感は自分の所為ではないのだと。
「病気の症状」なんだと。


「自分と同じような生きずらさを抱えているな」と思った。
それも自分よりも重い。
けれどもどうすることも出来ず引いてしまった。

今更どうこうアプローチをしたいと思わない。
俺はもう絶対に会いたくない。
二度と会いたくない、二度と接触したくない。

けれど自分はメンタルを病んでいたから分かる、そのままだと多分壊れる。
自分はこれまでに何度か壊れた。

自分はそういう生きづらさを分かる。
そんな風に生きていくのはすごく悲しくて辛い事だと思う。
そんな悲しい事、出来れば避けて欲しい。


自分場合は本当にたまたま、紹介された本をきっかけとして驚くほど変われた。
ストレスが減り、生きづらさが消えてきた。

「この本で人生変わりました!!!!」
なんてのはどこかカルトチックというかオカルティズムを感じて好きじゃないし、警戒する。
こういう記事があっても自分は全くチェックしなかったし
「はいはいメンヘラご苦労さん」
で流していた。

この記事を読んだ大多数もそう感じて、スルーするだろう。
その気持ちをわかる。

ここで自分が紹介している本もAmazonで「意味がなかった」と低評価を付けられていることがある。
万能薬などないのだ。

けれどこの方法がダメなら他の方法もある、いくらでも。

メンタル系の治療というと胡散臭さを感じてしまうが、れっきとした「医学」として存在する。
病気なんだ、だから治るんだ。

生きづらい人生から抜け出す事が出来る。
それを伝えたい。

俺の事を信じる必要はない、自分と医学を信じろ。


やっと書きたいことが書けた。


二度と会わないあなたへ幸あれ



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