"大人"のいう常識ってのは社会的な共通認識(ルール)みたいなもんで、『正解』のことではないんだと そう思った方がしっくりくるなぁ。 ルールは地方ルールとかあるもんなぁ。特例とか。 難しいなぁ、俺も大人(オッサン)の年齢なのに
どんなに言わんとしてることが正しくても、 タイミングとか、言葉遣いとか、伝えるには必要な要素は他にあると思う。 俺も、そして君も、聞き手の受け取るカタチまで考えられたら良いなぁと思う。
わかりあえないことをわかり合える人としか 自分の理想とする会話やコミュニケーションが成り立たないと思っているので 実力不足だなぁとか、これも自分のエゴだなぁとか思いながらそうしてる。 選べる選択肢が正しいといえなくても現時点な最適解であることは受け止めようと思う。
天才や、センスのある人、カリスマ性?って言うのかな人を惹きつける魅力のある人。 どうしても憧れてしまって、比べてしまって劣等感や焦燥感に苛まれてしまうけれど、 多分天才やセンスがもし自分にあったなら憧れていないんだと思う。 憧れている時点でどうしようもなく凡人なんだ。 凡人である事を恥じるより、凡人にしか出来ない事をした方がきっと向いてるんだなって思った。(と言うより多分"凡人以下でもある") 数少ない天才に憧れてその道を目指すより、沢山の凡人の道を共有して自分のオ
なんの予定もない雨の日が好きだ。 少し暗くて、しっとりとした感じ。 窓の近くにいると少しだけ聞こえてくる雨音。 なんだか晴れの日よりも外が大人しい(気がするだけかもしれない) 少しだけ肌寒くて、でも秋服を着るほどではない。 なんだか部屋の中と外とが、普段よりもさらに隔たりを感じて特別な空間に感じる。 本を読んだり、テレビを見たり、音楽を聴いたり。 いつもと違う曲のコード進行をコピーしてみたい気がして少しギターを触ったり。 ラジオを流すと本当に楽しい。 ラジオ
小学校を休ませる事にした。 友人がSNSに投稿した文章。 同年代には早ければ高校生。 身近にいる知人には幼稚園児〜小学生のお子さんがいる。 色々理由で自分は独身だから想像する事しか出来ないけれど、今お子さんを持つ家庭はどんなに大変だろう。 経験したことのない世界。 給食の時間は机を向き合わせる事はないと言う。 個人的には食事は1人で食べてもいいし、別に向き合わせて食べない事はどちらでも良いかなとは思うけど、そういうの経験してみたかったなぁってお子さんもいるみたい
東京生まれ東京育ち。親も関東圏出身。 下町に育った父に、関西人はガサツで嘘つきで信用ならないって話を昔聞かされた。 これは数十年経っていろいろな経験によって自分の出した答えは違う。 大学の頃、関西出身で東京にやたら噛み付く友達はいた。 でもそれは関西だろうが東北だろうが地域は関係ない。 そりゃ知らん土地に来て戦闘モードになる気持ちも出るだろうし、地元と比べて完成されてない人間関係や環境に居たら居心地の悪さを感じる人はいるだろう。 最近ラジオをよく聴いてて思うが、面
先週の水曜THEナイトで、上野さん、レイジくん、えみそん、Rくんで番組終了までに一曲作ろうの企画が凄く好みの企画だった。 また見返してるけど凄く好きな雰囲気。 自分のバンドの曲作りはもっと暗めで重い雰囲気、、 それぞれの本バンドじゃないからってのもあるだろうけれど、もっと初心者の時にこうやってハッピーに音楽できる雰囲気とか環境が近くにあったら違っただろうなぁ、なんて他力本願な事を考えてしまう カッコいい音楽も、ダークな音楽も、泣ける音楽も、色々あって良いけどこういうハ
これは実体験でそう思ってきて正しいかどうかっていうより自分の傾向だなと思う。 注意、指摘する事は気付きに向かうためのもの。 教育は教えて育てる事。注意は方向転換の手法の一つ。 強く打たないと響かない場合と、ゆっくり丁寧に作り上げないと壊れそうになる場合と、色々ある。 人に求めるのは難しいので、自分で自分を教育していこう。 めちゃくちゃ難しくて全然出来ないけど。 今までの人生考えたら昨日よりマシになるだけでも大したもんだろきっと。
https://hsptest.jp こういう診断、たまにやるけど結局なんなんだろう。 何個かやったけどHSPってやつの傾向はあるとは思う。上手く活用できてないけど。 あと、多分適応障害もあるし調べてる感鬱になってるっぽいけど、実際になった人はどうやってこいつを飼い慣らしながら生きてるんだろう。 歳も重ねてしまった事とまともに頼れる家族も関係性のある人もいない場合はどうすれば良いんだろう。 夜に考え出すのは良くなさそうだから、また明日以降考えようか。
世の中に悲しんでばっかりいても仕方ないとは思うけど、それでもスタジオコーストまでなくなってしまうのは本当に悲しい。
人と会話をしている夢を見た。 いつまでも守られる側じゃいられないから、人に伝えるためにちゃんとやらないといけないみたいに語る人(ニュアンスこんな感じだった)の話に共感して知人と話していた 多分仕事の話だったんじゃないかと思う。 今までは上司がいたりチーム全体で割り振りしていた事を、割り振りする側になった人の覚悟とか役割の変化の話をされていたのだと思う。 たしかに新人の頃は良く失敗しながら泳がせてくれる環境ってあったなぁて思い、でもある程度の外枠を用意してくれてたんだよ
喜びは、新しい刺激だけでなく目の前の風景と化した日常ですら輝きを感じさせた。真っ直ぐな気付きだった。
どうも家庭環境や、元々ある自分の性格のせいか人と違う事がある。 人と違う自分カッコいい!とも思いきれず気がつけば生きる術としてマイノリティーである事を自称し、ミーハーを小馬鹿にするようになってしまった(これは多分反対意見を貶す事で自分を正当化したかったんだと思う。) これは自分に非があるのだけれど、大多数の意見を小馬鹿にする姿勢を取ると生きづらい。 自分を肯定するのに、相手を貶す必要はない。 そんなことを教えてもらってから、ちゃんと咀嚼出来るようになるまでかなりの時間
これは大きな偏見だった。 大学時代、同じ授業を履修していた友人は軽音部(俺が所属していた)が嫌いと言った。 理由は学内の一部を溜まり場にしていたかららしい。 少し前に友達は居酒屋で野球部が嫌いと言った。 野球部はチャラいし偉そうだと言った。 俺の通っていた高校ではサッカー部の方が明らかにチャラいし偉そうだった。野球部は坊主だったし男子校の校内でチャラさを発揮していたのは見た目が自由なサッカー部だった。 でもこれ冷静に考えて全部偏見じゃんね。って思う。 全国の軽音
悲しさは、時を経て耐えられない痛みと時折感じる焦りと奥底に居座る惨めさと、そして眠れない夜を日常にした。