見出し画像

カナダでのワーキングホリデー

書きたいことが結構あり、何から書こうかなと思っていたら30分くらい経っていたので、順を追って5年前に1年間滞在してカナダのことから書くことにする。

書くことが決まって、一安心したら、また30分くらい経ったので、ここからはノンストップで書こうと思う。

私がカナダに初めて行ったのが、2013年だ。当時、トロントで弟がワーキングホリデーをしており、旅行がてら会いに行ったわけだ。ほとんど初めての海外は、沖縄から東京に上京してきた時よりも興奮した事を覚えている。弟が心底羨ましかった。この時、社会人1年目だったのだが、会社を辞めていつ私もカナダに住もうかとひとり心の中で決意した。それから2年後、2015年にトロントへワーキングホリデーで住み始めたのだ。実は理由というか、海外に住みたいと思ったきっかけは色々なことがきっかけなのだが、全部を覚えてないし、覚えているきっかけの1つは、映画「イントゥ・ザ・ワイルド」である。是非見た事が無い人は見て欲しいものだ。

この最初の文章だけ読んで行ってみたいと思った人はいないと思うので、もう少し現実的な話しを。

ざっくり計算すると、私が使った初期費用は以下の通りだ。

往復航空券代 20万円
海外保険1年間 14万円
現地語学学校 12万円
ホームステー1ヶ月 8万円
ビザ申請代金 4万円

合計60万円くらい。

現地で使う用のお金20万円いかないくらいをカナダドルに両替し出陣。

当時、そこまで貯金していなかったのでこれが用意できた全財産。

色々ネットで調べて費用を抑えた結果、このくらいのお金が掛かったのだが、今思うと、もっと安くで行く方法はある。

まず、航空券。オープンチケットの往復航空券を買ったので20万もした。格安片道航空券であれば8万円以下で探せる。(片道航空券ではイミグレーションで止められる可能性はあるかもしれない。止められたら、その時は仕方ない、帰りの航空券をどうにかして購入して欲しい。)

次に、海外旅行保険1年分14万円。これもまず、1ヶ月だけの海外旅行保険に加入。入国後、アルバイトでもして、現地の格安保険に加入すれば良い。1ヶ月1万4千円くらい。

カナダへワーキングホリデーする際、ほとんどの人が、留学エージェント経由でいくのでは無いだろうか。私も利用し、ホームステー手配とビザ申請を手伝ってもらった。現地語学学校にいけば、この費用は無料という事なのだが、語学学校に行くという選択肢を無くせば、12万は浮く。その代わり、自分で宿泊先とビザ申請をする必要がある。正直、ググれば、ビザ申請のやり方は出てくるし、その費用は多く見積もって4万くらいだろう。宿泊先探しは、現地の日本人向けウェブサイトのemapleで探せる。以上を見積もると、ビザ申請代金4万、宿泊先代金1ヶ月8万預け金8万で20万。

締めて入国前にかかる費用は、30万くらい。これで、入国はできるはずだ。

話を一旦戻す。

私は、入国後、お金が無かったのですぐにアルバイト探しと家探しを始めた。

ホームステーは1ヶ月しか契約しておらず、翌月の家賃分も危うい状況だった。

家はネットで探し、アルバイト先は運良く、引越し先の家のオーナーの人から紹介してもらった。

まあそんなこんなで、お金が無ければ無いでどうにかなるものだ。お金の問題で行こうか迷っている人は、取り敢えず行って働いてお金貯めたら良い。正直、現地には日本人がアルバイトできる飲食店はたくさんある。

語学学校に行く意味があるのかどうかだが、そこは自分次第としか言いようが無い。学校で今後を変える素敵な出会いがあるかもしれない。アルバイトや現地の友達を紹介してもらえるかもしれない。私は特に特別な出会いは無かったので、おすすめはしていない。因みに、デンマークでデンマーク語学校に行った時は、とても良い出会いがあった。なので、行くか行かないかは自分で決めるのがよいだろう。

そんなこんなで、ホームステー後、日本人が営むシェアハウスの一室を借り、アルバイトを始めた。

アルバイト先は、居酒屋りょうじという沖縄居酒屋だ。沖縄の久茂地に本店がある。そのトロントブランチという感じで、オーナーも沖縄の人だった。

最初はトロントに来てまで、沖縄か。という思いがとてもあり、何か晴れない気持ちが時々あった。今思えば、その時そこで働いていて良かった(何が良かったのかは、デンマーク滞在時に感じる。)と分かったのだが、当時は、先の未来の事などわかるはずも無い。だから、私のようにトロントでモヤモヤしながら日本食の飲食店で働く人たちは、今の仕事を取り敢えず一生懸命働いて欲しい。

とまあ、なんとか幸先良く、私にとっては幸先良く初めての海外生活がスタートしたのだが、モヤモヤ感が拭きれず、トロント滞在4ヶ月目に、イエローナイフというオーロラで有名な土地に行くことをなんとなく考えるようになった。

(書き進めて思ったことが1つ。私は、書いている時の感情が、その文章にかなり反映されている。文調を一定に出来たら良いなと思っている)

イエローナイフに行きたいなと思ってからは、イエローナイフでオーロラツアーを行なっている会社に1件づつ求人メールを送っていった。返信はどこも返ってこなかった。イエローナイフで働き先を探して1ヶ月くらいして、jpcanadaというこれまた日本人むけのウェブサイトでオーロラビレッジというオーロラツアー会社が求人募集していたので、そこで働くことに決めた。採用される前から、なんと無くそこで働くことができると勝手に思い込んでいただけだが。

今、飲みながら、これを書いているのだが、少しずつ酔ってきた。多分ここから文体が変わっていくと思う。

さて、イエローナイフでの話しに戻る。

現地での住居は、会社が用意した一軒家で、住人は全員、ワーキングホリデーでカナダに来た同僚だった。最初は正直、ここで出会う機会が無ければ、この先絶対に自分からは出会わないような人たちだった。元ホストの人だったり、癖のある人だったり、まあ同じ屋根の下に住み、仕事も一緒にすると、必然と仲良くなった。

イエローナイフは、その年、暖冬と言われており、平均気温マイナス20度くらい、たまにマイナス30度や40度になった。もちろん私にとっては、極寒だ。あんなに寒いところ、雪が好きな私でもちょっと暖かいところが恋しくなった。

現地での生活は、至ってシンプルで、日中仕事をし、仕事が終われば帰宅し、飯を食べて寝るというような感じだろうか。仕事は、ツアーガイドでは無く、お客さんがレンタルした防寒着を宿泊先のホテルにチェックイン前に届けるのが仕事だったので、夜のオーロラ鑑賞をするためのガイドとは異なる生活リズムだ。もし、ガイドの仕事を割り当てられていたら、通常オーロラ鑑賞が日が落ちてからなので、夜の仕事だった。一緒に働いていたチームにパイパーという現地人がおり、仕事で英語を使う様になった。といっても彼が必死に理解してくれて助かった。

現地での生活は、まさしく異次元の生活だった。イエローナイフは、ノースウェスト準州というカナダの1つの州で、とても田舎である。規模的には伊江島くらいだろう。(因みに、トロントは、オンタリオ州にあり、州都である。)休みの日は、街が小さいので、特に娯楽は無く、あるにはあるが、3日も街にいたら、網羅できる。休みの日は家で過ごすか、凍った湖に車で行って肌で寒さを体感するか。とか、本当に観光で来るような街だ。

この非現実的な街で11月から、オーロラ観賞がピークを終える4月までを過ごした。住むのは半年で充分なのだが、今までの人生とは非現実的な半年だったイエローナイフでの生活。もし少しでも行って生活してみたいと思ってくれる人がいたら、強くお勧めをする。半年くらいであれば。

イエローナイフでの生活が終わり、ワーキングホリデービザで滞在できる期限が3ヶ月を切ったこともあり、どうやって残りのカナダ生活を過ごそうか考えたままトロントに1度戻ることにした。半年ぶりのトロントはやはり田舎には無い都会の街が呼吸している雰囲気を存分に感じさせてくれる街だった。特にお金に余裕があった訳でも無く、イエローナイフ後に、どこか国内で旅行したいところも無かったので、ダメもとで以前働いていた沖縄居酒屋で働くことができるかお願いすると、快く快諾してくれた。今考えると、とても職場環境、周りの人に恵まれていたな。とつくづく思う。

残りの2ヶ月でした事は、トロントからナイアガラの滝まで自転車で行ったことと、ニューヨークへ旅行したことだ。どちらもかなり内容の濃い経験だった。

まずは、トロントからナイアガラの滝へ行った時のことについて書いていく。

自転車で行ってみようと思ったのは、取り敢えず残りの日数で何か成し遂げることがしたかった。Google マップで調べると、片道7時間くらいかかる予想だった。現地で泊まるのかとか、特に何も決めないままお昼の12時にトロントから出発した。オンタリオ湖に沿って自転車を走らせれば、ナイアガラの滝には到着できるはずなので、もし迷っても取り敢えず湖に沿って走りさえすれば良いだろうと考えいた。自転車を漕ぐには最高の日で、道中いくつかの町や、ブドウ畑を横目に気になるスポットがあれば、写真撮影をして向かっていたのだが、写真を撮ったり休憩したりしながら向かっていたので、思った以上にペースが遅く、残りの50キロくらいは取り敢えず日が落ちる前にナイアガラの滝がある街近くまで行かないとちょっと危ない気がしていた。道中でナイアガラの滝近くにあるバックパッカーに予約した。その日は、日曜日で、夜10時くらいになるとナイアガラの滝で花火が上がるのだが、現地に到着したのが10時15分だったので見逃した。バックパッカーとは、ドミトリータイプの宿で、安く泊まることができる宿泊施設だ。少し日本人には馴染みが無いと思う。そこで、翌朝のバスのチケットを取り、その日は秒で寝た。翌日、近くのバス停から、電車が乗れる駅まで、自転車を積んで向かい、トロントに無事戻ってくることが出来た。

ニューヨークには、友達と3泊4日で行った。同じ時期に高校の友達がバンクーバーにワーキングホリデーをしており、トロントに旅行しに来る予定だったので、一緒にニューヨークへ行ったのだ。トロントからニューヨークへは、飛行機で1時間30分くらい。東京と沖縄より近い。車での8時間くらいで行けるそうだ。

トロントにいるからついでに行っておくか。くらいの軽い気持ちで行ったのだが、予想を遥かに超えた街で、マンハッタンには高層ビルがそれに向かってそびえ立ち街が呼吸をしているようだった。セントラルパークは東京ドーム何個分か分からないくらい広く、丁度宿泊した宿の端に位置しており、端から端までゆっくり散歩しながら歩くと2時間は有した。なんといっても、至る所にストリートパフォーマーがおり、何か、今を生きている人々がそこにはいた。とにかく、ニューヨークは私の期待と想像を遥かに超えた街だった。その経験は帰国後、那覇空港で「英語でガイドしています」と書いた紙を持って観光客を捕まえようとした私のモチベーションにもなった。

ニューヨーク観光を考えている方は、歩きやすい靴で日頃からウォーキングをいておいた方が良さそう。

とまあ、カナダでの1年は日本でそのまま住んでいたら味わえないであろう1年となったのだ。

ここに書き忘れた事は随意時追って追記して行こうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?