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オーストラリアでのワーキングホリデー

カナダでのワーキングホリデーの後、沖縄に帰省し、3ヶ月ほどコールセンターで働き、少しお金を貯めてからオーストラリアに飛んだ。今回は少し時系列を分かりやすく書いていこうと思う。

11月〜12月 2016年 ゴールドコースト
12月〜1月 2017年 チンチラのメロンファーム
2月〜5月 2017年 ケアンズ
6月〜11月 2017年 メルボルン

カナダのワーキングホリデーで学んだことを活かすために、今回は自分でビザの申請を行った(確か4万円くらい)。海外保険は1ヶ月分 14000円。航空券はジェットスターの格安航空券。成田〜ゴールドコースト間 片道 確か4万くらい。締めて渡航前に掛かった費用は、10万くらい。そして現地で両替して使うお金は20万くらい。ざっと30万くらいしか貯められなかった。だけなのだが。

オーストラリアはカナダと同じくらい日本人のワーキングホリデーが多かった。初めの宿も、これまた日本人掲示板を使ってコンタクトを取ったシェアハウスに1ヶ月くらい滞在した。渡航前のコールセンターの仕事がつまらなく、よくもまあ3ヶ月も勤めたものだと思いながら、ゴールドコーストでは、かなりのんびりした1ヶ月を過ごした。まさしくチルアウトだった。オーストラリアでは、農場や工場である一定期間(ざっくり3ヶ月)働くと、ワーキングホリデーの期間をもう1年延長できると言う制度がある。どこかの農場で3ヶ月くらいサクッと働いて、もしもう1年居たいと思った時のためにと、最初はどこかの農場で働くかとか考えていた。

農場や工場は、オーストラリア人からは体力的に人気の無い職種らしいので、その労働者を海外から輸入しているような感じだろう。

日本人の営むシェアハウスなので、そこに住む人もほとんど日本人。そして農場で働いたことのある人ばかり。どこの農場が楽して稼げるか聞いたが、結構それは運次第で、紹介してもらえそうな事は無かった。(確かに、私も後々農場で働いた後に、紹介できるほどの関係にはなっていなかった。)給料未払いなどなどそう言うことも耳にしたので、少しネットでも調べて働き先を見つけた。

ちょっと詳しく覚えてないが、それまた日本人掲示板だった気がする。

仕事内容は、メロンファームでメロンを拾う仕事。体力に自信のある男性を募集していた。ふむ、体力には自信があったのでまあ3ヶ月くらいなんとかなるだろうと思っていた。

実はこの求人広告、ある日本人が、メロンファームを仕切っている会社を紹介する代わりに紹介料をとっており、紹介料を払ったら、その会社の連絡先を教えると言うもの。まあ働き出したら、そんな紹介料なんて高く無いとその時は思っていたが、今思うと、そんなことで金取るなと言いたくなるものである。因みに、後から知ったのだが、ガムツリーという現地ウェブサイトには普通にこの求人は出ていたらしい。

場所は、チンチラという多分オーストラリア人の近くに住んでいる人しか分からないような場所だ。ブリズベンからバスで内陸に2,3時間行ったところだ。ブリズベンは、ゴールドコーストからバスと電車2時間くらいなので現地に行く事は結構余裕である。

ちょっと話しが別になるが、チンチラへ行く際に、ブリズベン経由で行かないといけないのだが、このブリズベンという日本で言う名古屋くらいの街に、父の空手仲間のキースさんと言う人が住んでいた。父経由で紹介してもらい、チンチラに行く時は彼に色々お世話になった(1日家に泊めてもらい、メロンファームで必要な物資を調達。)ふむ、ここでもタイミングよく周りの人に恵まれていた。

さてさて、チンチラに移動した。家はメロンファームで働く同僚と同じ。この家が中々綺麗で、なんといっても近くにプールがあり、部屋には冷房が備わっていた。チンチラに移動して2週間が経ち、ようやく仕事が始まった。(2週間の時間が空いたのは、メロンがまだ収穫の頃合いでは無かった。)

正直、メロンファームでの仕事をなめていた。死ぬほどキツかった。太陽が登る前に起床し(4時前)、太陽が登った瞬間(5時)仕事開始。そこから、地面に生えているメロンをただひたすら拾うだけ。しかもまだ良い感じじゃないメロンを拾ったらボスからの激がとぶ。直線距離200メートルくらいのひとり1レーンを1時間くらいかけてトラクターの後ろに20人くらい並んでただひたすら拾う。たまにレッドバックと言う毒蜘蛛や毒蛇もオーストラリアの田舎なのでもちろんいる。もう仕事はただキツいだけで、腰がおかしくなるくらいヤバい。初日終わった後は全身が今までに起こった事が無いくらいの筋肉痛。体力に自信がある人より、この仕事に慣れていないといくら体力に自信があっても無理。と言うくらいのキツさ。当時つけていたブログで、この時に感じた気持ちを読む事ができる。

まあ当然、キツい事だけではなかった。この奴隷のような仕事を同じようにする仲間とはすぐに仲良くなった。やはり同じ苦しさを知るものはすぐに仲良くなるものだ。

同じ家に住む同僚にドイツ人のマリウスとモーがいた。

あ、実は、仕事が始まる前にファームに近い一軒家に家賃が安いので引っ越したいた。そこは、周囲ファームだけで、最寄りのスーパーまで車で40分くらい。ガチのファームにただ近い家。クーラー無し、トイレからカエルが出てくる。シャワーの水は決して飲むな。外には大量の虫。そんな環境の家である。家で仕事終わりのおしゃべりは特に楽しかった。あんなにコークを美味く感じた事は今まで一度も無かったくらいだ。さてさて、ドイツ人2人とはすぐに仲良くなった。その他に、家には、フランス人4人、日本人私を含め2人、台湾人1一人、イタリア人1人。モーとマリウスは直近はベトナムにおり、2ヶ月くらいのんびりしていたらしい。そして、今回このメロンにはお金を貯めてまたベトナムに戻るためとのことだった。なぜか彼らとは特に気が合った。初めてドイツ人の友達だったからだろうか、彼らが日本に興味があったからだろうか。よく思う事が、共通の言語を、この場合英語なのだが、ペラペラじゃなくても、気が合うひとは仲良くなるし、英語が上手く喋れるようになっても、気が合わない人はいるので、英語を勉強している人は、上手く喋れなくても外国人の友達を作る事はできる。

私がファームに働きに来た理由は、他にもあり、オーストラリアの後にデンマークに行くことを決めていたので、お金を貯めようとしていた。ファームの仕事は種類にもよるが、私は時給オーストラリアドルで21ドルくらい。日本円で1800円くらいだろうか。3ヶ月みっちり働けば、おそらく100万円いかないくらい貯めれた気がするが、腰がおかしくなりそうだったので、1ヶ月もし無いうちに辞めた。辞めた後は、ゴールドコーストに戻り、トロント時代の同僚と車でケアンズに行くことにした。

ゴールドコーストからケアンズは約2000キロの道のりで、3日で行く予定で出発した。道中には、ロードトリップをする人のためのキャラバンパークと呼ばれるキャンプ場があるので宿泊はそこだ。ケアンズへ向かう途中にテントを買って、キャンプ場では自炊してどうにか3日でケアンズに到着した。途中、スコールで前が見えないくらい雨が降ったり、カンガルーが轢かれているのをよく見たり、いかにもオーストラリアらしい旅であった。

ケアンズに着いてから、私はバナナファームで働こうと思っていた。結構金になるし、メロンよりは流石にきつく無いだろうと考えていた。

しかし、バナナファームで働きたい日本人含めたワーキングホリデーの野郎たちはたくさんいた。1週間くらい職探しをしたが、見つからなかった。そしてさらに、ケアンズは予想以上に田舎で、そこらかしこに日本人がいる。カナダ帰りの私には全く刺激が無かった。これではだめだ。と思い、メルボルンに行くことを決意した。しかし、メルボルンは中々物価が高いので、今すぐ行っても金が尽きてホームレスになってしまう。そう考えた私は、残すところ9ヶ月のオーストラリア生活は、3ヶ月ケアンズで貯金、その後メルボルンへ行くことを決意した。

タイミングよくケアンズのレンタカー屋の仕事を見つけて、なんとか3ヶ月働いてメルボルン資金を貯めた。正直、私にとってケアンズは沖縄となんら変わらなかった。気候や街並み、などなど。なので、外国に行くつもりでケアンズに行っても特に目新しさは無いと思うので、メルボルンかシドニー辺りの方が良いのでは無いか。

こうしてなんとかメルボルンに到着して残すところ約半年。家もいつものようにささっと見つけた。その家は、韓国人の奥さんと、現地人の旦那さんが住んでいる家の一部屋を貸している感じののりだ。結構住人募集の広告を見て住みたい人が何人か訪ねてきたらしいが、私の滲み出た好感が彼らに受け入れられて、住めることになった。後は仕事探しなのだが、家から徒歩30秒のところに、Azabujubanと言う日本食を出すバーを散歩しているときに見つけたので、履歴書を持って行き、サクッと仕事探しも成功した。

さて、メルボルンの滑り出しは順調で、あまり個人的に充実していなかったオーストラリア生活に変化ができた。

少し話は逸れるが、オーストラリアに渡航する前にデンマークに最後のワーキングホリデーをする事は決めていた。デンマークは物価が高く、カナダとオーストラリアに比べて日本人も少なく、家探しや職探しは苦戦するだろう。と感じていた。そのため、今まで以上に渡航時の費用を多めに見積もっていた。100万くらいは貯めときたいと。しかし、メルボルンに住み始めた時点でおそらく貯金は5万円くらいだっただろうか。残り半年はデンマークに行くために節約することを第一に考えて生活することを決意していた。

メルボルンの思い出の90%は仕事だ。しかし、全く仕事に対して、嫌な感情を抱いた事が無かった。キッチンで料理を作っていたのだが、料理は個人的に好きだし、一緒に働いている人はいい人たち背、オーナーのアダムは従業員のことを気に掛けてくれるので、オーストラリアに来てやっとまともな職場で働いていると感じた。週6で働き、週単位で目標貯金を決めて最終的にオーストラリアドルで10,000ドルは貯める事ができた。帰国前にエアーズロックを見たかったので、少し費用は掛かったが、エアーズロック経由で帰国することもできた。

ちなみにエアーズロックはオーストラリアの真ん中の北にある。オーストラリアは広すぎるので、大体メルボルンか5時間くらい掛かったのを覚えている。しかも就航会社が限られているので、航空券自体高い。行きたい人は少し金がかかることを覚悟していた方がいい。

エアーズロック周辺には先住民の保護区があるらしく、現地には先住民たちをよく目にした。と言うのも、メルボルンやシドニーには先住民がほとんど住んでいない。オーストラリアの政策と聞いた事がある。彼らは、外見がなんと言うか、違う。ニュージーランドのマオリの人たちを見てわかるように、オーストラリアの先住民は、人世代前の人類という感じの出立である。先住民の特別手当みたいなので、政府からお金をもらって生活しているので、働かなくても生きていける。そもそも彼らの土地に後から来た人たちが住んでいると言う歴史がある。あまりその辺の歴史は詳しく無いので、気になった方はウィキペディアで調べて見たら良い。そんな先住民の人たちは働かないで時間があるので結構アルコールに頼る人も少なく無い。確かに、イエローナイフで先住民を見た時も同じような問題があることを耳にした。私も、働かなくても暮らしていけると言われたら、やることなくてお酒を飲んで時間を使ってしまうかもしれない。

とまあ、こんな感じでオーストラリア生活を終えた。オーストラリア滞在時には、1日1記事ブログをつけていたので、読んで見たい方は連絡をもらえれば、サイトのURLを送る。

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