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還暦間近、そろそろ会社員ではない本当に自分がやりたい事を準備中。フランス語、ラテン語を…

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還暦間近、そろそろ会社員ではない本当に自分がやりたい事を準備中。フランス語、ラテン語をこれからの楽しみにしたい。英語は仕事で毎日使用。会議の通訳や文章の翻訳も。身体を動かす趣味はサーフィン。毎週ペースを継続中。

最近の記事

米国映画 バトルシップ

録画しておいた米国映画<バトルシップ>を観ました。 2012年公開。 興行的に振るわず、批評家の評判も良くなかったようですが、私の場合は最後まで楽しんで観ました。 台風の影響でサーフィンに行けない休日に、ストーリーとしては荒唐無稽ですが、テンポよく物語が進み最後まで飽きないで楽しむことができました。 出演していた浅野忠信は良かったのですが、もう少し彼の持ち味であるニヒルでクールな感じが出ていればもっと良かったと思います。 海上でのバトルシーンは昨年公開されたゴジラ-1

    • サーフィン 4

      今週のサーフィンは台風の影響のためお休みします。 毎日のルーティンの英語トレーニング、筋トレ、ストレッチをいつもより多め行います。 それから、妻に評判の良いトマトソースのパスタを料理しようと思います。 昨晩はサバのマスタード焼きを作り、好評でした。

      • 親の世代の戦争の記憶 #8

        前回からの続き 母方のもう一人の伯父は母の一番年長の姉の夫になります。 母とこの姉とは20歳近く歳が離れており、とてもよく面倒を見てくれたそうです。そのため、この伯父も母をとても可愛がり、母が幼いころ夏になると近くの海まで自転車の荷台に母を乗せて海水浴に連れていってくれたそうです。このころはまだ東京の海でも海水浴ができていたんですね。 しかし、残念なことに戦争に行き、生きては帰れませんでした。 前回で述べた母の兄も、この伯父も骨壺の中には遺骨が入っていなかったそうです。

        • 親の世代の戦争の記憶 #7

          前回からの続き 操作ミスで一度アップした記事を削除してしまいました。 母の兄は視力が良くなり、戦闘機のパイロットになり戦地へ赴きました。 戦地は南方戦線でした。 母の兄は生きて日本に帰ることはありませんでした。 私はこの伯父に会いたかったです。 続く

        米国映画 バトルシップ

          引退からの第二の人生

          台風の被害がこれ以上大きくならないように願っています。 今、こんな事を考えています。 実績を重ねていったプロ野球選手も年齢を重ねていくと、ある日気づくのでしょう。 自分ではまだまだ若い時と同じようにプレーできると思っているのに、いつしかレギュラーのポジションを若手に奪われベンチを暖める時間が多くなっていることに。そして静かにバットを置く時が必ず訪れます。 その後、第二の人生を歩む事になります。 40年近く会社員としての生き方しか知らない自分。会社員もいつか会社員でな

          引退からの第二の人生

          四カ国合作映画 ダンケルク

          録画しておいた映画ダンケルクを観ました。 最初から最後まで、いくつかの視点で緊張感を持続させながら続きます。 反戦映画なのかというと、そのような主張も無く、淡々と緊張感を維持しながら映画は続きます。 映画の伝えたい事とは違うと思いますが、私はこう感じました。 英軍の戦闘機のエンジンはロールスロイス製、ドイツの戦闘機のエンジンはダイムラー製。 良い悪いは別にしてこのころの技術の上に今があります。 今も多くの戦争や紛争があります。 人類はどこに向かっているのでしょう

          四カ国合作映画 ダンケルク

          親の世代の戦争の記憶 #6

          前回からの続き ここで私の母方の二人の伯父について触れたいと思います。 母の兄は戦闘機のパイロットになりたかったそうです。 ただ、視力が弱いため良くしようと努力したそうです。母によると伯父は毎晩、星空を観て視力を良くしたそうです。 続く

          親の世代の戦争の記憶 #6

          米国映画 フィールド・オブ・ドリームス

          録画してあったフィールド・オブ・ドリームスを観ました。 公開時に映画館で観た記憶があります。その時は感動した思い出があります。 今回は自分が歳を重ねたせいか、映画の中でローンのこととか家族のこととかも描いていて、主人公に100%の感情移入ができませんでした。 ただ、自分も父親とキャッチボールしたことを思い出しました。父はすでに他界しているので、すこし切ない気持ちになりました。父とのキャッチボールの最後の一球はいつだったんだろう。 この映画は大人のファンタジーなのが良い

          米国映画 フィールド・オブ・ドリームス

          サーフィン 3

          いつもの家に近いほうに波乗りにいきました。 混みすぎていて危ないので、波は良くないけど少し人が少ない場所でサーフィンをしました。 この歳になると、海に入ってパドルアウトできるだけでも気持ちの良いものです。 あと10年続けられるかな。

          サーフィン 3

          夜勤

          同じエリアに住み、朝の通勤で良く見かける人がいました。年齢は同じ年代のようでした。 その人が、ある日気がついたら、朝の通勤時に、駅から帰ってくるようになりました。 定年退職して、夜勤の仕事に就いたのでしょうか。 いろいろ考える毎日が続きます。

          親の世代の戦争の記憶 #5

          前回からの続き 父は弟に会いに弟のいる部隊へ訪ねて行ったのでした。 すると、弟は志願して入隊したため、自分より階級が上で驚いたと生前父は語っていました。 父の弟はその後、特攻隊に志願しました。 そして特攻作戦を行う前に終戦を迎えました。 戦後、弟は英語が堪能だったため、そのスキルを活かして旅行代理店に入り、海外を飛び回っていました。 少し前まで敵として戦っていた国々の言語を使い、仕事でそれらの国々の人々とコミュニケーションをする。平和が良いと言うのは簡単ですが、父の弟

          親の世代の戦争の記憶 #5

          会社 2

          少し前に、同僚が会社を辞めると書きました。 そうしたら、その仕事を違う同僚が今の仕事を行いながらやるように指示されたとのこと。 そのやるようにと言われた同僚は、そもそもその仕事は全くの専門外です。 その同僚も辞めてしまうかもしれません。

          会社 2

          親の世代の戦争の記憶 #4

          前回からの続き 226事件後の父の動向は分かりません。生前父はその期間のことを話しませんでした。 たた、今でいう高校生のころ、野球部を作った話しをしていました。今でもその野球部はあます。父の数少ない青春の思い出です。私は先日、夏の甲子園の予選、その野球部の応援に行きました。 その後、父は陸軍に入隊しました。 子供のころ、父に私はなぜタバコを吸うのかを聞いた覚えがあります。 父は笑いながら、軍隊に入ったら菊の御紋の入ったタバコをもらったからと言ってました。 そして子供の

          親の世代の戦争の記憶 #4

          サーフィン 2

          台風通過後、お盆休み最終日ということもあり、いつもの場所はかなり混むと思ったので、もう一つの場所へ。 もう一つの場所で入りました。この時の波のコンディションは厚い波で自分は苦手。今日の課題は厚い波の練習。 最初入った場所ではあまり乗れなかったので、左へ歩いて移動。ここで数多く乗れました。 今週も無事に楽しい波乗りの時間を楽しめたことに感謝します。

          サーフィン 2

          勉強と筋トレ

          英語の勉強は相変わらず毎日続けています。筋トレも毎日続けています。 英語の勉強は最近少し目標を見失っている感じです。ただ勉強すればするほど知らない事が出てきて、それを知る事が楽しいです。心に余裕が出てきたらフランス語の勉強を再開するつもりです。 筋トレは、私の目標は80歳まで現役サーファーのため、毎日コツコツ頑張ってます。

          勉強と筋トレ

          親の世代の戦争の記憶 #3

          前回からの続き 幼い父に託された手紙の内容は今では知る術もありません。しかし、想像すると、胸が締めつけられる思いがしました。 続く

          親の世代の戦争の記憶 #3