未来掲載評(工房月旦) 2023年6月号

未来2023年6月号掲載

消費期限切れのたまごと対峙するわたしはとても嫌な人間 宮凪舞
「剥き出しの気持ちが積んであるようでトマト売場を足早に去る」で、本能的な錯覚を鮮やかに詠んでいるだけに、たまごの歌に違和感があった。消費期限は人間が決めている。それを理解したうえで食えるか食えないか悩む「わたし」は、とても人間らしい人物ではないだろうか。上句の状況はわかりやすく、下句で視線が分散してしまう印象だ。

黄葉の萩の散り敷く足元に水仙の芽が群がりて伸ぶ 笠井三和子
茂る萩、厚い水仙、どちらも存在感のある植物だ。「散り敷く」「群がりて伸ぶ」と言葉も重ねているが、物理的にもそれらは重なっている。今まさに季節がぶつかり合っている、とも思える迫力がある。散った萩は水仙の養分になるのだろう。これまでの時間、これからの時間の移ろいも思わせる、スケールが大きい歌。

産卵のように車輛からあふれだす人間たちのからだの一部 三輪晃
ストレートに受け取れば、グロテスクな歌だ。魚の腹が割れたような勢いで、バラバラの人体が……。実際のところ、この光景は、電車から降りる人々が急いで、足から頭から肩から我先にとホームへ出ていく様子だろう。コロナ禍が落ち着き、街の人流が戻りつつある状況を、工夫して表現している。

亡き父とイタリア旅行したときは青年でしたアラサーほどの 桑田忠
「アラサーほどの」という年代は無い。「アラ」が「ほど」だから無い。この言葉が出来た頃、作者は既に年上世代だったのかもしれない。色々あったけど、昔の旅行を懐かしむ時間を楽しめている。今も楽しい。それが伝わる。流行語の使い方ひとつで、歌の筋道ができていて注目した。私は今年二十八歳になるが、アラサーという言葉もあまり聞かない。仕事も遊びも、やればやるほど身になる時期で、アラウンドで括れない日々を短歌にしている。早くに短歌に出会えて幸運だ。

甘いものではなく甘さそのものを針なす冬の雨に与へよ 伊豆みつ
音の柔らかさにも季節がある。夏の強烈な雨では出せない空気だ。冬の細い雨がしきりに降っている。その雨はどんな味がするのだろう。四季折々の雨の中でも、最も無味無臭な気がする。上句は抽象的だが、混じりけの無い甘味から連想される、優しさを一帯に降らせたいのだろうか、と想像した。冬の雨へのリスペクトがある。安易に「甘い雨」や「〇〇の甘さ」のように、一方的に言ってしまわないところが良い。読み手がじっくりと鑑賞できる。

故郷から帰る列車に窓見れば夜景に頬を拭はるる吾 二宮史佳
私もよく、帰郷のために汽車に乗る。共感しながら、新鮮でもあった。夜の特急宇和海に乗ると、外はひたすら暗く、窓には自分のくたびれた顔が映るのみだ。そんなときにこの歌を思い出したい。もはや「帰る」場所ではない故郷。列車ならではの体感。故郷と居住地を行き来するときならではの心境。その行路で見えた光明を詠んだ。この歌からわかるように、自分を自分で励ます視点を持っているからか、大変な時期のことも、落ち着いた一連にしている。

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