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手術と集中治療室(ICU) 3

1月下旬、日々のリハビリがスタートした。鉛筆を持つこと、文字を書く練習から始まり、徐々にベッドの背もたれを使って腰を起こし、体を支えて座る訓練へと進んだ。土日はリハビリ先生がお休みなので、書き取りドリルの宿題。座る練習は、その時点ではまだ体を支えられないので、一人では止めるよう言われていた。
1週間ほど経つと、次はベッドの縁に座る訓練。寝た状態からベッドの脇まで移動し、ベッドから足をおろして体を起こす。タイマーを使い「今日は5分、明日は10分」と測られながら背もたれなしで座る。機動力は乳児のハイハイ以下だったが、寝たきりから解放され、視界が広がったことに喜びを感じた。手の震えがひどく食事はフル介助。このペースだと通常の機能を取り戻すのに何年かかるんだろうと多少不安になった。自力でベッドに座れるようになると、次は車椅子に座る訓練。リハビリ先生によいしょ〜っと抱えられて車椅子へ移動する。入院前と比べると20キロほど体重が落ちていたとはいえ、それでも約60キロ。小柄で細身の20代女子のリハビリ先生は軽々と私の体を持ち上げた。車椅子の合皮の座面は固く、痩せた尻には堪えた。痛みを訴えると、座布団を用意してもらうことができた。移動手段がストレッチャーから車椅子に変わったが、自走は出来ないので相変わらず誰かの補助が必要。自主トレは禁止で、動けるのは見守りのある1日1時間リハビリの時間のみ。

ある日の午後、突然の吐き気に襲われその場で嘔吐した。
38~39度の発熱も有り、コロナインフルなど感染症の可能性があったので、すぐに隔離された。採血して色々と検査しても体に異常は見当たらず、消去法で新しくなった点滴の痛み止めが原因ではないかと、今まで使っていたものに戻したところ急速に体調が戻った。当然何度も安全性のチェックの上でリリースされているのであろうが、それでも相性問題が起きるのは少し意外な気がした。

ICUのフロアには、どこかのんびりとした空気がいつも流れていた。24時間飛び込んで来る瀕死者の対応しつつ、既存入院患者への相手もする。医療的な処置だけでなく、体を拭き、食事を食べさせ生活の介助をし、患者が落ち着くまで話し相手までする。特定の個人ではなく、そこにいるスタッフ誰しもが非常に高いホスピタリティと理性を持っていた。どうイメージしてもストレスフルな環境のはずなのに、そこには80年代前後のアメリカB級ホラーで使われるロック音楽ののどかさ、残虐スプラッタ漫画ドロヘドロの中に漂うコミカルさ、そして天網恢恢疎にして漏らさずという言葉を思い出させる雰囲気があった。
その日朝5時から出勤しているという彼女は夜中に「今日は絶対にミスドをたくさん買って帰る、もぉおなかぺこぺこ」と笑顔で言った。


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