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【vol.3 バスケにどハマりした少年時代】

アンニョンハセヨ〜タイチイムニダ〜

なぜこんなにバスケットボールに魅了されプロバスケットボール選手にまでたどり着けたのかを少しずつ書いて行きたいと思います。

*写真は無邪気でボール遊びが好きだったバスケを始める前の僕です。(1番前でヘッドスライディングしてる)

⒈ 親の影響

アスリートの多くの方は親がそのスポーツの経験者だと思うのですが、僕の親はバレーボールの元国体選手でした。本人曰く実業団に入れるレベルだったそうですが4人兄弟の長男で一家の大黒柱として家族を支えるためにサラリーマンを選んだそう。自分のやりたい事を犠牲にしてまで家族のことを安心させたいがためにこうした選択をしたと。

だから、僕にはバレーをやって欲しいと思ってたはずなんですけどね、住んでいた福川にはなかったんですね。残念。。隣の新南陽にはあったけど送り迎えとか大変だしって感じで、笑

なので同じ体育館の競技だし当時から背も大きかったし(幼稚園の時から背の順で並ぶ時は1番後ろが定位置)親の友達に誘われたり、同級生はみんな野球かサッカーばっかりだったし、という感じでバスケ人生が始まっていくわけです。

ちなみに幼稚園の頃から水泳をやっていたので、もしバスケをやっていなかったら水泳選手だったかも?(小4の時には平泳ぎの200mで市で1番でした!)

なによりも、父の読書やストレッチを日々欠かさずにやっていた姿が印象的で、ストイックな父親の背中をずっと見てきて、「俺もやらなきゃ」と自然に思わせてくれたのが大きかったと思います。

そんな父が叶えられなかった夢を叶えることができたので少しは親孝行を出来ているのかなと思います。


⒉ 2006年 広島で開催された世界選手権

まだバスケをはじめて数ヶ月の僕に夢を見させてもらったのが初めてチケットを買って観にいった世界選手権です!!!

バスケの知識なんてものは微塵もなく、でかい、高い、はやいぐらいしか思ってなかったです。今考えると、とんでもないものを間近で見ていたんだなと思います。

NBAを見始めたのも2006年からでヒート対マブスのファイナルをちょうどテレビで見たばっかりでした。そこに出ていた選手が広島に来るなんて、、、

えええぇぇぇーーーーーーってなりました。

ノビツキーを生で見れるとは思いもしませんでした。

スペイン対ドイツの試合、日本がこの大会唯一勝った試合の日に見にいくことができました。

当時のバスケは今ほどでかい選手がアウトサイドからバンバン打って決めるというのは珍しくて、記事にもあるんですがまさにノビツキーが世界のバスケのトレンドを変えてるところを見れたんですね。

アメリカのメンバーもそうそうたるメンバーですが上には上がいるのかと。NBAのスーパースター軍団が負けるとは思っていませんでした。

今でこそヨーロッパ出身の選手がNBAでも多くいますがバスケットがグローバル化されて、競争がより活発になっていくのが見れたこともよかったかなと。

ちなみにこの記事めちゃくちゃ読みやすいなと思ったら、陽子さんが書いた記事でした。さすがの一言。👏

日本の選手は当時のメンバーの半数の選手がBリーグでプレイされていて、TK(川村卓也選手)とは横浜で一緒にプレイできたし、五十嵐選手柏木選手ともマッチアップする機会があったし、なんかとても感慨深いですね。笑

バスケ始めたばかりの僕にはあまりに衝撃的な1日でした。

これがきっかけでバスケ沼にハマることとなり、より一層バスケが好きになりました。真似できるようになりたい、バスケ選手かっこいいと思った次第です。

ここから本格的にミニバスでの活動が始まるので次回お楽しみに〜

#TA1 #中村太地 #KBL #原州DBプロミ




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