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7.五郎八姫様のご霊廟漆塗り作業に明け暮れた日々

伊達政宗公の長女五郎八姫様に導かれ、日本三景の一つ松島へ通う事になりました。6回目に投稿で書きました、五郎八姫様のご霊廟再建漆塗り作業をするためです。

そのお寺は、天麟院(てんりんいん)といいます。隣が円通院(えんつういん)、その隣が有名な瑞巌寺(ずいがんじ)と並んでいます。

「TAKAKOさんは画家だから筆遣いに慣れていて、こうやって塗るんだよ、と言ったらすぐにそう塗ってもらえるね。素人の方に教えるよりすごく早く理解して筆遣い良くムラなく塗って貰えて助かるよ!」と、漆塗りの先生に言って頂きました。

タオルで目だけ出す覆面をして、首に2重に巻き、頭にも巻き、手袋を2重にはめて長袖を着て、足首がでないように保護してから作業用ズボンを履いて、作業専用にシューズをはき、、、そんな重装備で毎日作業に明け暮れてました。

私にとってはとても楽しい作業で、始めは何日も何日もお手伝いのボランティアをしました。そしていつしか、バイト代を出そうと言って頂き、先生の弟子のように朝は8時から晩は7時や8時まで働かせて頂きました。

季節は真夏にもなり、この重装備の作業着、勿論、かぶれて、ぶちぶちになりひどい症状になりドクターストップになった方々も作業中何人もいらっしゃいました。

かく言う私も途中、ある会合で私にアレルギー反応が出る食材が入っているのを分からず一口食べてしまったことと、別の場所で真っ黒な大きな蛾のりんぷん(蛾から散る粉)がかかったこと、そして漆の影響の三拍子揃い、ひどい湿疹がでてしまいました。皮膚科から飲み薬と塗り薬が出されました😁

漆から2週間離れないとかぶれは引いていかないのですが、休む暇なく作業に行きました。

しかも、漆は乾くまで時間がかかるもので、乾かない内は空気中に漂っているので、触らなくてもそこで息をするだけでかぶれるのです。

痒くて仕方ない日々でしたが、作業の楽しさの方が勝っていたのでした。

津波被害で家を流され松島に移り住んだ男性Oさんが始めから先生と作業していて、他にも何人か入れ替わり立ち替わり来ましたがかぶれがひどくて辞めて、最後には先生とOさんと私の三人だけになりました。

ご霊廟は、本堂の後ろの小高い丘の上にあり、沢山のお墓の一番奥に建っています。左手奥の岩窟の中には天麟院代々のご住職のお墓が並んでいました。背面には400年も前に岩を削った大きな岩窟がいくつもあり、中には政宗公の四男伊達宗泰公とその家臣の方々の供養塔が何基も建っていました。

供養塔だったことは、つい最近の今年令和2年12月1日に天麟院へ作品を奉納させていただいた時に改めてご住職から説明されて知りました。(多分当時も説明は聞いたはずですが認識していませんでした。)

ご霊廟から南を向くと、キラキラ輝く松島の海が臨め、一日中太陽の動きが見られる気持ちの良い場所でした。ご霊廟の中の墓石の下に五郎八姫様が眠っています。姫様も毎日美しい松島の海を眺めているのでしょう!

下から階段を登り、姫様のご霊廟の敷地に一歩踏み入れる瞬間に、空気感が変わります。とても清らかな澄んだ空気になります。「気」が変わるのです。(感じやすい方にはこの表現で分かって頂けると思います)

ご霊廟のぐるり一周、工事現場でよく見る足場が組まれ青いシートでくるまれていました。こんな環境での作業でした!

日が暮れると、ライトを吊るして明るくし、頭にも小さなライトを付けて照らしながら作業しました。裏側の軒下や柱を塗っている後ろは真っ暗な岩窟があり回りはお墓だらけなのに、不思議と全然怖くもなかったのです。

作業と片付けが終わり、扉を閉めて電気を消すと辺りは真っ暗になりましたが、「姫様今日もありがとうございました。帰りますね。また明日参ります。おやすみなさい。」と毎日ご挨拶して帰りました。怖がりな私が一切怖がらなかったのが奇跡的でもあり、謎でもありました。

その謎は最近解けて来ましたがその辺は別に書きます!

そしてその後、、ご霊廟から車で5分程の高城町にある紫神社のお神輿修復作業の仕事も同時にやるようになりました。




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