どうしても理解できないこと(2)

データを見る時に注意すべきことは、いろいろあります。しかし最近、いわゆる基礎的知識よりずっと重要なことがある気がしてきました。それは、認知バイアスがあることを知り、常に意識しながら情報に接すること。理解の話の前に、どんな情報を集めるか、という部分です。

以前も書きました。「自分が認知バイアスに陥っていないかを確認したい」「認知バイアス: 確証バイアス以外にも注意したいこと」。

今回、特に注目したいのは、確証バイアス。「人は自分が正しいと思うことを肯定する情報のみを目に留め、集めてしまう現象」。今回、このテーマを取り上げたのは、
  「今の悩みは、知りすぎてしまったこと」
  「調べすぎて、知り過ぎて、それが逆にストレス」
と思う人がいるのを目の当たりにしたからです。そして増えてさえいるらしい。なぜそうなるのか、どうしても理解できません。

これを言う人は、最近、何か新しいことを知ったのでしょう。確かにそれまでの知識が間違っていた可能性はあります。しかし、新しく知ったことが正しいという保証はどこにあるのでしょうか?今知ったことなら、深く知らないはず。それなのに、自分が新しく知ったこと(のみ)が正しい、違う意見は間違っていると。


恐らく反論として、新しく知った、それを調べたらやっぱり情報があった、と言うと思います。しかしそれこそが確証バイアスと考えた方が良いと思います。なぜなら自分が探したい情報を集めているから。

幸い、注意すれば確証バイアスかどうかを自分で確認することもできます。

(1) できるだけ客観的なデータを集める
(2) 批判に対応できているかを調べる
(3) 様々な情報源を探す(情報源が限られていないかを確認する)
(4) 異なる視点での検討が、同じ方向を向いているかを考える

このうち(3) (4)は、冷静になれば客観的にわかると思います。特に、情報が1か所に集まっていないか。または同じような言葉遣いになっていないか、を確認することが、第1歩です。
例えば、PCR検査は意味がない、という主張。探すと必ず出て来るのが、開発者が使えないと言ったとか、インフルエンザも検出するとか、断片も検出してしまう、偽陽性が出る、陽性になっても感染したとは言えない、など。大体これらの主張にたどり着くのではないでしょうか。あまりにも同じような情報にたどり着くと思いませんか?そして新しい情報がない。根拠論文がない。異なるアプローチで同じ主張をしている情報が見つからない。これこそ情報源が限られている、という意味です。
(これに対する反論は、開発者の過去の発言の後、どれだけ年月が経ったのか。その間の技術向上をそう理解しているのか。PCRは汎用的なので、何を検出するのかをいろいろ設定できる。断片を検出するかも知れないが、再検査すればいい。)

続いて(2) の批判に対応できているか。科学の発展には批判が不可欠です。批判に耐え、残って来たことが、今、正しいとされていること。逆に言うと、批判に耐えられない主張は退かされてきたわけです。
PCR検査は意味がない、について考えるなら、PCR検査が何処でどのように使われているかを調べれば良いです。どれだけ精度があるものかを調べれば良いと思います(これは(1)に相当)。偽陽性を問題にするなら、実際の偽陽性率を調べましょう。時々99%だと思っている人がいるようですが、全く違います。中国で何万人検査しても、偽陽性は一人も出ません。たとえコンタミで陽性が出たとしても、2回検査すればいい。いずれにしても、検査に問題があっても、何らかの方法で問題を解決できるかどうかが大事です。なぜこれが世界中で使われているのかを考えてみるのも良いでしょう。


つまり、どうしても理解できないこと(2)。それはPCR検査不要論です。

新型コロナが風邪のようなもだと主張したいなら、それを定量的に示して欲しい。そのためにもPCR検査は不可欠です。


何かを無批判に信じたなら、何度でも騙されます。

確証バイアス、自分が探したい情報だけ集めていないか?
(自分への問いかけでもあります)