自分で調べる、は本当は難しい

最近、この人も?という感じで陰謀論や偏った情報にはまっていく知人が多くなってきた気がします。ワクチンの中にチップが入っているとの陰謀論までは行かずとも、

(a) PCRはコロナの断片も検出してしまう。陽性者と感染者は違う。
(b) コロナに感染していれば、事故死もコロナにカウントされる。だから実際のコロナによる死者はもっと少ないはずだ。

という話は何度も聞きました。どちらも完全否定されるものではないことが、ことを難しくしているようです。この2つの例から、自分で調べる・考えることの難しさを今回は考察してみましょう。


(a) の例では、ウイルスに暴露したが感染していない状態の時に、検査陽性になることがあるかも知れない、確かにPCRの感度がとても良いため起こりうるとのこと。しかしこの状態はとてもレアケース。可能性はあるが、ほとんどが実際に感染してしまっている人が陽性になっているはず。
陽性になった人のほとんどは、感染まで進んでいる人であって、ごく稀にウイルス暴露状態で未感染の人が陽性になるかも知れない。その割合はわかりません。しかし「偽陽性」が非常に少ない(つまり特異度が高い)ことを考えれば、その割合はほとんどゼロに近いと思われます。むしろ問題になっているのは、感染しているにも関わらず陰性になる偽陰性、見落としです。(a) の問題をことさら取り上げる人は、ほとんどゼロの可能性だけを指摘し、大事な全体像を見ようとしていないと言えます。

(b) は、統計の取り方(定義)の問題です。本来は、本当に死亡の原因が新型コロナ感染である人数だけをまとめるべきでしょう。しかしこのような事例だけを集めることは、現状では不可能。何らかの線引きを行う必要があります。このために取られた方法が、感染者の死亡をコロナ死亡と数えるという方法なのだと思います。
この例も、むしろ本来は感染が原因で死亡したかも知れない人を、検査をしなかったために感染者としてカウントされないという問題があります。(a)の例と同様、統計の漏れにも注意が必要です。
このような問題はあるにしても、データを客観的に集めるという視点から、今はこの定義で行くしかないと思います。


統計のデータ収集で重要なのは、定義をはっきりさせること、そして同じ定義でデータを取り続けることです。これにより、変化、つまり増加・減少の傾向は察知できます。
定義がはっきりしているということは、例えば医師の裁量で報告する、しないが決まる要素が少ない、ということでもあります。ワクチン接種後の副反応の報告は、裁量がかなりの部分、医師にゆだねられているのは、本来の良い定義ではありません。同じ定義を使うことの重要性は、データの時間変化を把握するための前提です。


まとめ1:
・(a)(b)の例はいずれも可能性があるため完全なる嘘とは言えないが、現状を把握する目的で取られているデータの大局を見ていない、という問題がある
統計データは、定義と連続性が大事


わからないことが多い今、「違和感を感じたら調べましょう」とか、「科学的に考えてみましょう」という人もいます。これはある意味正しいかも知れません。しかし危険もはらんでいます。例えば今の世の中、あまりにも情報が溢れているので、調べれば必ず所望の情報は見つかると思います。すでに認知バイアスに陥った人なら、それを補強する情報以外は目に入らなくなります。つまりエコーチェンバー。そこまで行かずとも、レコメンドなどの形で情報が連続して提示されてしまうために、認知バイアスに近づく人もいるでしょう。

  「やっぱりそうだったんだ」という情報を見つけると安心する。
  単純な説明で理解できた気になる。

冒頭書いた知人なども、少しづつ、これによって偏って来たようです。この2項目は、常に意識しておきたいですね。(自戒の念も込めて)


まとめ2:信頼できる情報を探すのは、本来は難しい