信念バイアスを数学から

信念バイアスとは、認知デバイスの1つで、結果が正しければ過程もすべて正しい、と思い込む効果、またはその逆の効果、ということでした。過程と結果の話ならばと、今日はこれを数学の立場で考えてみようと思います。

例として
(1)「検査陰性だった。これまでの自分の対策は間違っていなかった」と(2)「試験に落ちた。自分は頭が悪い(又は勉強方法が間違っていた)」を取り上げてみます。
(これらを思念バイアスと考えて良いのか、いまいち自信はないのですが)

(1)「検査陰性だった。これまでの自分の対策は間違っていなかった」は、簡単に言ってしまえば、「完璧な対策」をとっていれば「陰性」になる、
   p:「完璧な対策」→q:「陰性」
と表されます。集合で

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と考えても良いと思います。どちらで考えても良いですが、要するに正しい対策をとっていれば陰性になる(感染しない)。しかし陰性だからと言って、正しい対策をとっていたとは限らない、と理解できます。

しかし新型コロナでよく言われる、対策していても感染する場合もある、という状況は次のような感じですね。対策していても感染するというのは、実は不十分な対策だった(完璧ではなかった)と言えます。(これは数学論理上の話です。実際に絶対に感染しない対策ができるかと言えば、難しいと思います。台湾では屋外で少し立ち話しただけで感染した例がありました。)

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ところで新型コロナではなく、もう少し深刻な感染症では、この(1)のようなバイアスは、頻繁に起きると聞きました。例えば深刻な感染症の告知の時、陽性の告知に十分な注意が必要なことは当然として、陰性の告知も注意が必要だそうです。それは陰性を知ると喜び舞い上がってしまい、今までの対策が正しかったと信じてしまう人が多いからとのこと。検査した時点でたまたま感染していなかっただけ、同じようにしていても将来感染しないという保証はありませんと、しっかり説明する必要があるそうです。


(2)「試験に落ちた。自分は頭が悪い」(もしくは「試験に落ちた、勉強方法が間違っていた」)は、思い込むと落ち込んでしまいそうですね。

集合で書くと、上の不十分な対策と同じく、包含関係にはなりません。

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分割表で考えても良いでしょう。

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確かに頭が良いとされる方が有利かも知れませんが、それがすべてではありません。試験の結果は様々な要素が重なり合った結果です。頭が良い(または勉強方法が正しい)場合に必ず合格する訳ではないでしょう。このように分けて考えれば、冷静に分析できるのではないでしょうか。

(実は、「成功した、自分のやり方は正しかった」という考えも困りもの。でも構造は(2)と同じですね。)

物事を理解する時、できるだけ分割して整理すると、見えてくることがあると思います。論理的に考えるとは、こういうことなのかも知れませんね。