表現と棲み分けと規制の意義

アマゾンプライムで見られるようになっていたのでミッドサマーを見た。評判になっていたからといった位で内容をほとんど知らないまま見たけれど、予想以上にがっつりしたエログロホラー描写がきつかった。

エログロ描写に関して思ったのが何故映画だと許容されて漫画やアニメ、ゲームは規制の厳しくなる流れがあるのか。表現は違えどやっている事をみればゲームとかと大して変わらなくないかと思うことも多かったり。むしろ実写映画の方が表現技術の向上もあってより具体的で嫌悪感を抱かせる表現となっているように感じたのだが、歴史とか文化的側面の熟成度とか世間の価値観とかなのだろうか。今までにホラー映画はサイコやシャイニングくらいしか見ていないのでその辺りの流れは分からない。

アクセスのしやすさという点でもアマゾンプライムで再生する際に特に警告や確認が出ることなく見ることができてやや後悔したので事前警告くらいは欲しかった。euphoriaでも起動時に警告が出る上に表現のオンオフが設定できたりと見せる範囲を選択できるようにしてくれているのだから。

同時に世の中の規制を強化しろとは思わないが、基準に一貫性はないように思う。共存していくために、そのものを消したり蓋をしてしまうのは短絡的で最もやってはならない。では理由の説明が適切になされれば良いのだろうか。答えを出すのは難しいだろうけど。

その後にアマゾンプライムで見られたビートルズに関わった人たちを描くドキュメンタリー映画も見た。ドラッグを扱う点では共通するが、こっちの方が見ていて面白かった。評判などから普段見ないジャンルへ触れる事で新しい面白さを発見する事もあるけれども、いずれにせよ自分が面白いと感じるかを大切にしたい。

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