無題

気持ちを整理するために殴り書きの様に書き進めていきたい。
友人関係の希薄な自分にとってVRCでイベントとか関係なく遊べる交友関係が持てたのはpublic探検隊があったからだ。そんな中で貴重な友人を失うことが、未だに現実味を帯びていないのだが、同世代の友人を失う経験自体が初めてであり理解がまだ追い付いていない。
ニュース記事を読み、状況を想像し、死ぬってどういうことなんだろうとか思春期のような疑問が浮かんでくる。情報が集まり、事実がだんだんと確定していく中で遺体という言葉が出てきたときに彼の精神はどこに行ってしまったのだろうかとか、そんなことを考えてしまう。
ネットを介した交流が主で実際に会ったのは一度だけだが、なぜ、あんなに貴重な才能を持った人がと思ってしまう。多言語に堪能で交友関係が国籍問わず広かったこと、企画を考える事、聞いた範囲だけでもデザフェスやVketや今年にはコミケにも出る予定だったり表現を発信をし続けていた事。好奇心が強いことは間違いないのだろう、それ以上に人を惹きつけていたからこそ会った人たちは彼の楽しみを共有させてもらえた。
ファンタジスタドールを本当に全話見てくれたのも嬉しかった。あまりはまらなかったようだったけど、こちらの好きなもの、勧めたものも興味を持ってくれていた。勝手なことを言えばファンタジスタドールイヴを読んでほしかった。そしてどんな感想を抱くのか、ファンタジスタドールという作品の見方がどう変わったかとか、そんなことも話したかった。
コミケで会ったときにefを見ていたことが分かったのも、稀有な友人を得たと思えた時だった。
public探検隊のメンバーはイベントの性質からか、何でも物事を面白がろうとする人たちが集まっているように思うし、そんな人たちを集めてくれたことに本当に感謝したい。今の時点ではこれからどうなっていくのか、皆が感情の整理がついていないと思うから分からないけれど、隊長以外との出会いも当然大切に感じている。
作り出したものは残り続ける。しょこたんがよく自分の生きた証を残したいと語っているけれど、彼が間違いなく生きた証でもある作ったグッズやデジタルデータやらは手元にある。思い出す人がいなくなった時が二度目の死だとも言われるけど、VRC界隈が限られた世界とはいえ、ゴリラ殴り合い集会とか、イベント関係なく関わった人とか、当面の間は生き続けていてくれるように思う。
結局書き進めていても本当にもういないのか実感がわかない。public探検隊自体が不定期に不意打ちの様に開かれていたから、またどこかでひょっこりととか。今の時点ではそんなことを考えてしまう。

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