京華学園2

10/8(火)第三回裁判期日『京華学園雇止め事件』

来る10月8日(火)再び東京地裁で京華学園が行った、我々2人の雇い止めは違法であり、無効であって、即時撤回を求める第三回目の期日が行われる。

第2回目の期日で被告は我々2人が学校の基幹的、つまりは中心的な業務をやっていたわけではないと言い出した。京華学園の可笑しな職名「有期専任」は「専任」と全くもって同等の仕事をしている。はっきり言って業務量は専任のそれより遙かに多い場合もある。なぜか??

専任になりたいからである・・・正規雇用になりたいとの思いから、少し頑張ろうとするのである。

学校で中心的な仕事をしていない?入学したての高校1年生や中だるみと言われる高校2年生の担任を持つこと、部活動を2つや3つも掛け持ちの顧問業務、保護者とのやりとり、児童相談所とのやりとり、他団体との折衝、定期考査作成、入試問題作成・・・

これらを中心的な業務ではないという、そんな馬鹿げた学校はない。

私は早く京華商業高校に戻って、雇い止めに遭う前まで担任をもっていたあの子達の元へ戻りたい。今はちょうど高校2年生の2学期であろう。ダンス部が夏の大会に出場して良い演技をしたらしいと、卒業生の元ダンス部の子達から動画が送られてきた。本当にうまくなったなぁと感慨深い思いになる。

私は、第一回の裁判期日で意見陳述をさせてもらい、裁判官に自身の思いのたけを自身で伝えることができた。参考までに私が実際に話した意見陳述の文面をここに示させてもらう。この思いは今も力強く私の根底にあるものだ。

【提訴に馳せる思い】

 私は学校法人京華学園が運営する京華商業高校から2019年度いっぱいでの雇止めを受けました。3年前の2016年4月より、有期専任という雇用形態で3年間働ければ、専任として働けるからと1年毎の契約関係で3年間働きましたが、2018年9月に学校側から、来年度の採用はないと伝えられ、事実上の雇止めを受けました。
 在職中は担任業務をはじめ、部活の顧問など、任期なしの専任教員と同じ、むしろ認めてもらおうと、それ以上に職務を行ってきたつもりでいます。その中で、なぜ自分が雇止めになるのか理由が分からず、私学教員ユニオンという外部労働組合に加盟し、学校側に雇止めの理由の明確化を求め、団体交渉を4回続けてきましたが、結果として、学校側は雇止めを強行いたしました。
 私はどうしても、これら学校の対応に納得がいかず、また今まで寄り添ってきた生徒たちが、やめないでほしいと署名運動まで起こしてくれたことが脳裏から離れず、法廷の場で不当な雇止めを撤回し、学校に戻るために提訴を決断いたしました。
 私は最終年度に高校1年生のクラス担任を任されており、その生徒たちが卒業する時には教員として、元担任として卒業式の場に参列したいと強く思っております。また志半ばで軌道に乗っていたダンス同好会のことも心残りでありません。
この様な非正規雇用教員が経営側だけの都合で、事実上の不当解雇にあう惨状は京華学園はもとより、安田学園などでも至極当然の様に強行されています。現在も非正規で教員を続ける仲間の中には、それが当たり前だから、次を探すしかないと諦めている者も少なくありません。しかし、真に教育を考えたときに、自身の生活もままならないような生活環境、労働環境、そして精神状態で、本気で生徒、保護者と向き合い、心底教師という任を全うできるでしょうか。
私は雇止め通告を京華商業高校の萩庭校長に伝えられ、羽鳥百合子理事長、小林直樹常務理事には、私たちの声すら聞いてもらえませんでした。その様な中で担任を受け持つクラスの生徒たち、部活の生徒たちと顔を合わせるのが、とても辛く、いつも心の中で「ごめん。最後まで面倒見ることができなくて・・・」と悔しい気持ちでいっぱいでした。
私は、どうしてもあの生徒たちの元に戻りたい。また時に厳しい指導を行っても、説明をすれば、支えてくれる保護者の方々と共に、またあの生徒たちを育てていきたいと願っています。そのために、提訴という決死の活動にでました。
この報道を知り、この記者会見を見てくれた皆さんに、私たちの心を少しでも分かっていただきたい、御支援を賜りたいという切なる思いから、本日は失礼ながら、記者会見上に登壇できないために、筆を執らせていただきました。
末筆ながら、皆様のご理解とご支援を賜れれば、幸いでございます。何卒宜しくお願いいたします。

令和元年5月23日

この思いが少しでも裁判官に届き、今後の私学の労働環境に関わる重大な裁判であることを理解していただき、正義ある判決を私は心より切望している。

教員の労働環境を変え、教員たちが子供たちに真に向き合えるようになるためには、我々教員だけでは変えられない。社会の様々な方々に力を貸してもらい、一丸となって立ち向かわなければ変わることができないのである。

それが京華学園を生み出し、安田学園を生み出し、文理開成を生み出してしまったのではなかろうか。

大学入試改革が本格化し、新しい時代を生き抜くことができる子供たちを育てるためにも、今、教員が、大人が変わらなければ新たなる時代を迎えることはないだろう。

皆さんのご助力を賜れれば幸いである。

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