李登輝に学ぶ「ふじみ野市政」②(私は、私でない私)
クリスマスの今日、新約聖書の一節から、この文章を始めましょう。
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 」(ガラテヤ2:20)
台湾の民主化、台湾化に尽力した李登輝元総統は、指導者としての境地を「我是不是我的我」(私は、私でない私)と説明します。
下は彼の言葉です(李登輝友の会ニュース:2018年1月8日「志高き精神 日本人よ、後藤新平の心を取り戻せ より)。
「私はクリスチャンで、信仰を通じて最終的に見出した私自身のあり方が「我是不是我的我」、つまり「私は私でない私」でした。この言葉は、新約聖書のなかにある「ガラテヤの信徒への手紙」の「生きているのは、もはや、私ではない。キリストが、私のうちに生きておられるのである(後略)」という一節からきている。つまり私、李登輝のなかに神が息づいていて、自分のためだけでなく公のために生きなくてはならない、ということである。
李登輝は、「公のために生きた日本人」として、後藤新平を挙げます。日清戦争終了、台湾が日本領となって3年後の1898年、後藤新平は、台湾総督府の民政局長となります。以下は、李登輝の言葉です(前記李登輝友の会ニュースより)。
後藤が着手したのが人事刷新の断行であった。着任するや高等官以下1080名の禄を食むばかりで仕事をしない官吏を更迭し、日本内地へ送り返すとともに、新渡戸稲造をはじめとする優秀な人材を幅広く台湾へ呼び寄せたのである。
続けて台湾の産業発展の基礎となる公共衛生の改善、台湾経営の財源確保のための事業公債発行、台湾北部の基隆と南部の高雄を結ぶ縦貫鉄道の建設、基隆港の築港を進めた。そしてこれらのインフラ整備を完成させると、砂糖、樟脳などに代表される具体的な産業開発と奨励をしたことで、台湾の経済発展の軌道を定めたのである。
今日の台湾の繁栄は後藤が築いた基礎の上にあるといえる。この基礎の上に新しい台湾を築き、民主化を促進した私は、後藤とも無縁ではないと思っている。つまり、時間的な交差点はなくとも、空間的には強いつながりを持っているだけでなく、後藤新平と私個人の間には精神的な深いつながりがあるのである(李の言葉ここまで)。
今、現代日本で政治家をする我々も、近代国家建設のために犠牲となり、又は尽力した多くの先人の偉業の道に続いています。李登輝が後藤とのつながりを確認するように、私も、吉田松陰、西郷隆盛、伊藤博文、吉田茂らリーダー、名前も定かでない多くの官僚、経済人、市井の人々の粉骨砕身の働きを受け継いでいます。
政治家についての李登輝の言葉です。
「政治家には二種類の人間がいると言われる。まずは権力掌握を目的とする者、そして、仕事を目的とする者だ。権力にとらわれない政治家は堕落しない。私は総統時代に指導者の条件として、「いつでも権力を放棄すべし」を自らに課し自制していた。普通の人が権力を持った時、非常に幸福であり、快楽であると思うことが多い。それはやりたい放題で、なんでもできるからだ。しかし、後藤(新平)は明らかに後者、つまり、仕事のために権力を持った人であった。私と後藤に共通するのは「信念」であったといえる」。
公のために尽くす。戦前の日本人には、天皇、国家という存在が比較的明確であった。現在はどうでしょうか。政治家にとって、「公のために尽くす私」を保ち続けることは簡単ではないでしょう。
皆さんが政治家、議員を見るとき、その人と「私でない私」についてどうぞ議論してください。政治家、議員は多くは人間関係や親疎で、有権者とつながりますが、「権力にとらわれない(数を求めて野合しない、ポストを求めない)、仕事を目的とする、私でない私」の政治家、議員に出会えば、ぜひ応援し、育ててあげてください。みなさんと次の世代に必要な、社会の大きな変革と発展は、そのような人が導くのですから。