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『ストレスBANK』

「すっげぇ……」
 新設の銀行を目の前に、大学三年のハルトは息を呑んだ。
 後ろから同じ大学のナツキとアキラが、悲鳴を上げている。

 森がぽっかりと口を開けたような外観。
中に足を踏み入れると、センサー式の色とりどりのランタンが道しるべのように奥に向かって灯った。
 優しい鳥の囀りに、滝が落ちる音がする。

「あたし、ハンモックでも持ってきて住みたい」
「ナツキらしいな。こんな空間で暮らしたら、ナマケモノに生まれ変わるぞ。あっ、すでに半分ナマケモノの人外だったな」
「あっ、ひっど!」
 ナツキがアキラの肩を殴った。

 ハルトは銀行の正面への道を逸れて、『ご自由にお入りください』という扉の一つに入った。
「おい! みんな、見ろよ」
 遮光を徹底した暗い空間に、エメラルドグリーンのオーロラが再現してあった。
「ねぇ! こっちは満天の星空だよ!」
 ナツキがはしゃぐ。
「いや、ここが当たりだ。春夏秋冬が一つに集まってる」
「なにそれ? 意味わかんない」
 三人で次々と扉に入り、ストレスを発散した。
 
銀行の扉は、古代遺跡を思わせるような重厚なものだった。
「行くぞ」
 ハルトが右手に力を込めて扉を押すと、石が擦れるような音声が流れた。

「いらっしゃいませ。ストレスBANKへようこそ」
 インドのサリーのような民族衣装。透明感のある生地に包まれたスタッフがハルトに声を掛けてくれた。
 
 ――ストレスBANK.
 国が医療機関と連携して設立した新時代の銀行。日々のストレスを積立てくれる夢のような銀行だ。
 ハルトは半信半疑と面白半分でナツキとアキラを誘った。

「ストレスってどうやって貯金するんですか?」
 ナツキが正面から疑問をぶつけた。こういう時に物怖じしない性格は羨ましい。
「指の間に簡単なナノ・チップを埋め込みます。これがお客様の日々のストレスを感知して、様々なストレス軽減のサービスをお客様ごとにデザインしてまいります」
「よくわからないけど、すっご!」
 ナツキが叫ぶと、スタッフは微笑んだ。

「早速、オレ。貯金したいんですけど」
 アキラがタブレット型のパンフレットをスワイプしながら、切り出した。
「ありがとうございます。大きく分けますと、普通預金、定期預金、貯蓄預金の三種類がございます」

 ハルトはスマホのメモを取り出した。
こういう新しいサービスは、正しく使ってこそ意味がある。軽率な選択はしたくない。
「まず、普通預金は自由にストレスの出し入れができます。お客様がストレスを感じた際、専用アプリで貯金するかどうかを選択します。するを選んだ場合は、以降に生じる同様のストレスを徹底的に取り除きます。例えば、SNS上のストレスを取り上げますと、お客様にストレスを与える投稿を感知して、当店でブロック等を管理します。最適なタイムラインにデザインするようなイメージですね」
「人間関係のストレスはどうでしょう?」
 ハルトはすかさず訊いた。
「もちろんナノ・チップがストレスを検知します。嫌な人物のデータが取れれば、その人物に会わないようなルートのデザイン、嫌な人物のいない部署への異動要請。あらゆる角度からストレスを軽減いたします」
 驚いた。時代はもうここまできていた。

「他の預金形態も教えて!」
 ナツキが前のめりになった。
「定期預金は、毎月、決まったストレス量をカテゴリーにかかわらず貯金していきます。人間関係、就活、親からの小言に恋愛事情。あらゆるストレスを数値化して、軽減したい量を定期で貯金します。貯蓄型については、決まったストレス・レート以下に預金を抑えることにより、利子をお付けするサービスですね。ストレス値100までの預金上限を、80で抑えた場合、翌月以降に訪れる幸せの度合いが上がります。体験していただければ分かりますよ」
「預けたストレスはどうなるの?」
「人生で返していただきます。嫌な人と遭遇しない代わりに、テストの点が下がったり。預けた量で変動しますね」
「なんだ、その程度か。大きなストレスを預けなきゃ、大丈夫だな!」
 アキラが契約書にさらりとサインした。

 ハルトは想像していた。どのストレスを取り除けば快適か。
 要するにストレスBANKはストレスの最適化。人によって耐えられる種類のストレスとそうでないものを等価交換することに狙いがあるに違いない。

 かくして、ハルトは普通預金、ナツキは定期預金、アキラは貯蓄預金を選んだ。

「これで俺たち、新しい人生を歩めるかもな」
 ハルトは夕日を見上げた。
「やったぁ。明日からストレス・フリーだ!」
「あんまりストレス貯めるなよ。ナツキは定期型の上限値で契約したから心配だ」
「アキラの余計なお世話がストレスよ。あとで、登録しとこっと」
 ナツキが指を開いて、ナノ・チップを撫でた。

「そしたらアキラと道で会わなくなるかもな」
「あっ、ハルト。てめぇ!」

 三人で駅まで駆けた。

 新しい未来が、すぐそこまで来ている音がした。

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