long long ago
※2014年9月、shortnoteに記載
『俺さ、正直あいつが死んだ日、すげぇ笑ったんだわ』
shortnoteで親から受けた虐待までは行かずとも表に出なかった話で中高時代の中のよかった男の子がいて、彼が大人になって再会してポツリと言った。
友人の親という方がいわゆる【毒親】というのでしょうか。少し違うかもしれません。
今では児相がすぐ動きそうな話ですが、当時はなかなか表に出なかった。
数少ない学生時代からのこの男の友人は当時自分と兄弟の身を守る為に高校を中退したのです。彼の当時の精一杯でした。
当時他人事に首を突っ込むな、と言っていた私の両親が初めて助けた子供かもしれません。
ここで詳しく書くと当人に了承得ておらず、怒られそうなので割愛。
いわゆるところのネグレストというやつで。
それでも彼は親の見栄とか名誉を傷付けないように小中の頃は頑張っていた。
成績も上位、よく気がつく人だなぁ、と初見で思ったのです。
高校の時、『俺もうアカン(駄目だ)』と言ってきた。当時、時々というかカレーやシチューの時に彼を呼んだ。
『カレー持って帰っていいか?』
そんなことを聞いてきて初めて弟くんがいることを知ったくらいだ。
少しでも気に入らないことが有ればご飯も抜き。中学の時はまだお弁当代を渡されていたがそれも高校生になってからなくなって、バイトで食いつないでいたが、そのバイト代も見つかったら奪われることもあったそうだ。
彼の背には竹定規で傷つけられた跡が幾つも残っていた。
『もうアカン』
その一言で私の母に相談して、そこから私の覚えている限り、あっという間に地域の民生委員さんとやらが来て、彼と弟くんはそれから2〜3日のうちに児童施設に入る手続きが取られた。
彼のお母さんとやらが来たのはそれから児童施設の手続きが終わって1週間経ってからだった。
『お前がウチの子供をたぶらかしたのか?!
子供たちは何処に行った?』
何処で調べたのか我が家に来た。
父が対応してくれたのだが、父が出た途端金の無心をして来たそうだ。なぜ金の無心か意味がわからない。結局、強面顔の父が出て、最後にガツンと言ったら何やら喚いて逃げるように帰った、と。
暫くは高校に通っていた彼も学校は危険だし弟を食わせなきゃいけないし俺も早く自立したい、と高校を中退することになった。
それぞれが大人になって、たまに近所の飲み屋で会うようになってお互いの近況を話していた時だった。後にお世話になった人から高卒認定試験の援助もしてもらい、専門の資格も働きながら取っていったと聞いた。
それから、私が彼と会っていなかった数年間に彼のお母さんが亡くなった話を彼自身から聞いたのです。
親戚だという人から連絡があったとき、お母さんは結構な額の貯金があったらしい。
親戚だという人は最後に介護をした、と、その金欲しさに彼にいろいろと言ってきたそうだ。
『とにかく俺にも弟にも金を使わなかったよ。俺たちが腹減らして今日明日の食べ物の心配していても、自分(お母さん)は外で焼肉食って帰って来てるから匂いがもうたまんねぇの』
私はその時やっと我が家に乗り込んで来たお母さんが金の無心をした話をしたらアッサリと、『あー、やってたわ』と一言。
『【子供に怪我させたから慰謝料よこせ】って幾らか払った家もあったんだろ。俺も弟もそのせいで友達出来んかったから』
なに?お前ん家の父ちゃんババア追い返したの?スゲぇな、なんて笑ったんです。
『俺さ、ババア死んだって知らされた時に笑いがこみ上げて一日中職場でニヤニヤしてたんだわ』
お母さんのお金は受け取らなかったそうだ。最期を世話した親戚に譲渡したというのも聞いた。
『ババアが俺らにも使わせずに溜め込んだ金だよ?なんかババアの怨念入ってそうだし』
彼は弟を高校に進学させて当時はものすごい勢いで働いていた。
資格を取得した時にお世話になった職場上司の知人のお嬢さんと結婚して、嫁ちゃんと子供がかわいい、という惚気話も聞いた。弟くんとも仲良くやっているとも。
私が結婚するという時も『おめでとう』と言ってくれた。
妊娠・出産してからはよく会っていた店に行くこともなくなったのですが、話を聞く限りお嫁さんや子供も素晴らしい家族に巡り会えたのだと彼の笑顔が物語ってました。
また会って近況を話したいと思ったのです。
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